カーター元米大統領の外交政策――低評価の2つの理由とその背景を検証
Carter Was a Foreign-Policy Visionary
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保守派の「弱腰」批判に翻弄された面も(大統領執務室で、1977年) MARION S. TRIKOSKOーLIBRARY OF CONGRESSーREUTERS
<中国との国交正常化から中東和平、ソ連への対応まで、第39代米大統領の外交政策はこれまで評価が低すぎた?>
大半の追悼記事からは伝わってこないが、昨年12月29日に100歳で死去したジミー・カーター元米大統領は、外交政策において先見の明に満ちた指導者だった。
彼の功績は見過ごされがちだが、その影響は重大だ。
ベトナム戦争での徴兵忌避者の恩赦、パナマ運河の返還条約の批准、イスラエル・エジプトの平和条約につながるキャンプデービッド合意の仲介、中国との国交正常化、歴史的な人権政策、旧ソ連のアフガニスタン侵攻への対応による冷戦勝利への足固め。
象徴的な失敗とされる在イラン米大使館占拠事件での人質救出作戦の中止でさえ、実際は大失態とは言えない。
では、カーターの外交政策はなぜこれほど評価が低いのか。理由は2つある。
第1に、彼は非介入主義の最高司令官だった。カーター政権時代は第3代大統領のトマス・ジェファソン以降で唯一、戦場での銃撃も兵士の死傷者もゼロ。こうした平和偏重と大統領らしさをアピールする演出不足のせいで弱い指導者のイメージが生まれた。
第2の要因は、ロナルド・レーガン元大統領を含む保守派による組織的な「弱腰」キャンペーンだ。