【ルポ】激戦地バフムート、「捨て石」のリアル...前線で戦う現役兵士や家族の証言
INSIDE THE BATTLE FOR BAKHMUT
東部ハルキウ州南部のイジューム、ドネツク州北部のリマンなどロシア軍に占領された町を次々と解放していったウクライナ軍。しかし、バフムートをめぐる状況に好転の兆しは表れなかった。
8月1日、ロシア軍がバフムート南東部への地上攻撃を開始。
9月22日、市内の中央を流れるバフムートカ川の橋が破壊され、住民の移動と物流が困難になる。
11月5日までに120人以上の民間人が殺害されたと、バフムートの副市長が伝える。
12月9日、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は、「バフムートは焼け野原になった」と表現した。7万1000人の住民のうち、年を越えても約6000人が町に残り、子供も200人ほどいたという。
バフムートがあるドネツク州の住民に対し、政府が避難命令を出したのは昨年7月。インフラ施設が破壊され、暖房に必要なガスの供給ができないことが理由だった。厳冬期を迎えて水、電気、ガスが途絶えても町にとどまる住民には、移動が困難な高齢者やその家族、親ロシア派と呼ばれる人たちが多かった。
志願兵の青年ダニールの死
ロシア軍は今年1月15日、バフムートの北端から7キロの町ソレダールを、2月11日に同2キロの村クラスナホラを占領した。バフムートへの集中砲火が続くなか、1日で最大400人のウクライナ兵が死傷していると分析する研究機関もあった。
2月末、ウクライナの大統領顧問は、バフムートからの戦略的撤退の可能性について言及したが、ゼレンスキー大統領は否定した。そして3月6日、バフムート防衛継続について最高司令官本部会合を開催。大統領は「撤退せず、兵力を増強することで満場一致した」と発表した。
その頃、ドネツク州マリウポリ出身の若者2人が、志願兵として東部戦線で戦っていた。共に人道支援団体に所属し、筆者もメンバーの1人として一緒に汗を流した仲だった。
長身のボクダン・ペトリツキー(26)は昨年6月に入隊した。ボランティアの事務所に軍服でやって来て、「行ってくるよ」と挨拶を聞かされたときは驚いた。
今年2月、彼はドネツク州に派遣され、4月にバフムート行きを命じられる。任務は既に占領されていた市内に潜入し、ロシア軍の後続部隊を足止めさせることだった。
5月4日、ボクダンたちが活動していたのはバフムートカ川周辺。1カ月前にロシア軍に占領された一帯だった。