【ルポ】激戦地バフムート、「捨て石」のリアル...前線で戦う現役兵士や家族の証言
INSIDE THE BATTLE FOR BAKHMUT
「われわれは川のそばにいて、近くの民家に身を隠そうとしていた。その時、迫撃砲が飛んできて、炸裂したミサイルの破片が足に当たった。出血が止まらなかったが、自分で止血帯を巻いて車両まで避難した」
敵の追撃を避けるため、軍用車両はバフムートから猛スピードで脱出。ボクダンは北西へ30キロほどのところにあるクラマトルスクの病院で緊急手術を受けた。
持ち前のユーモアでボランティアの仲間を笑わせていたダニール・ミレシュキン。昨年夏、キーウにある自動車部品工場に就職した彼が、その後入隊したことを筆者は知らなかった。彼の名を聞いたのは今年3月、義理の弟でボランティアメンバーのローマン・チェボターリョブ(28)からだ。
「兄とは週に1度ほど電話をしていた。バフムートで偵察任務に就いていて、『明日早いから、またかけ直すね』と言って電話を切った。次に届いた連絡はその翌日、実の妹である私の妻に宛てた死亡通知だった」
ダニールの妹アンナ(25)は妊娠8カ月だった。ショックで泣き崩れるアンナの代わりにダニールの身元確認に行ったローマンは、軍の関係者からその時の状況を聞かされた。
「現場はバフムートの一番中心の辺りだったそうだ。同行していたのは狙撃手、地雷探査兵など8人で、兄はライフルを持っていた。早朝に出陣する攻撃部隊に情報を伝えるため、ひっそりと移動しながら偵察していたとき敵に見つかり......彼らは殺されてしまった」
3月19日午前3時30分、ダニールは暗闇の街で30歳の生涯を閉じた。
バフムートで命を落としたウクライナ兵は数千人に上るという。ダニールの墓があるザポリッジャの丘には新たな戦死者の墓が一つ、また一つと増えている。
1日200発の砲撃を計画
ウクライナ軍の反転攻勢はいつ始まるのか──この数カ月、国内外で高い関心を呼んだテーマだった。
「バフムート周辺で昨日始まったんだって」
こう耳打ちしたのは、筆者の通訳をしてくれている聖職者のニキータ(20)だった。ウクライナ軍の攻撃拠点を取材することが許された5月12日、バフムート方面歩兵部隊通信部の司令官ローマン・ホールベンコ(47)が伝えてくれた情報だった。