【ルポ】激戦地バフムート、「捨て石」のリアル...前線で戦う現役兵士や家族の証言
INSIDE THE BATTLE FOR BAKHMUT
バフムート方面に向かうウクライナ軍の戦車(3月21日、リマン付近で) PHOTOGRAPH BY TAKASHI OZAKI
<血で血を洗う戦いが続いた東部の要衝、ウクライナ軍の反攻が始まったが、死と隣り合わせの消耗戦の地で兵士たちはどう戦ってきたのか>
昨年4月、ウクライナ南東部での撮影を目指して再入国した筆者に、あるボランティアの女性がこう問いかけた。「ポパスナって知ってる?」
義理の弟がウクライナ兵として東部戦線で戦っていたオレガ・ケチェジ(48)は、衣類や医薬品、調理器具などの支援物資を届けるためその町に通っていた。東部ドネツク州バフムートから伸びる幹線道路H32を東に20キロ。戦況の変化を伝える地図アプリ「ディープステートマップ」を見ると、当時は東部ルハンスク州ポパスナに接する形でロシア軍占領地が迫っていたことが分かる。首都キーウの陥落に失敗したロシア軍はドンバスの完全占領をもくろみ、部隊を東部へ移動させていた。
その頃、ポパスナに派遣されていた兵士がいる。ウクライナ地上軍の戦術部隊、第24独立機械化旅団に所属していたミコラ・カールポフ(37)だ。2015年に入隊し、ドンバス紛争で3年半の戦闘経験がある彼にとっても、今回は想像を超える現場だったという。
「敵陣からさまざまな種類のミサイルが飛んできて、1日で200~300人もの兵士が負傷することもあった。ルハンスク州は森や藪が多く、とても危険だ。待ち伏せされたり、罠を仕掛けられても見抜けない」
1世紀前の世界大戦を思い起こさせるような地上戦が展開したウクライナ戦争。待望の最新型戦闘機F16の欧州からの供与が決まるのは1年以上も後のことだ。機械化旅団は戦車や装甲車を多数装備し、攻撃力、起動力の高い部隊のはずだが、実際は武器が不足し、12.7ミリ口径のマシンガンだけで抵抗することも珍しくなかったという。
開戦から2カ月が過ぎた4月末、膠着状態にあった前線が西側に決壊した日があった。「朝5時、夜が明けるとロシア軍の陣地が確認できた。その後、敵の歩兵が左前方から進軍してきた。37人まで数えたところで、右からも囲まれていることに気付いた。私は大隊に状況を伝えるため部下を伝令に送ったが、その5分後に銃声が響いたんだ」
14人の小隊は急きょ撤退。その途中、ミコラは頭部に手榴弾の破片を受け負傷した。そして自陣に近づいたとき思わぬ事態に遭遇する。
「(ウクライナの)大隊の方向から発砲された。ロシア軍がいる東側から来たわれわれを敵と勘違いしたようだ」
ウクライナ軍には戦闘経験のない新兵が多く、部隊の一部がパニックに陥ったとミコラは振り返る。開戦64日目の4月28日、ロシア軍はポパスナの町を乗り越えるように、2キロほど西に進軍した。支配地域の境目を示すラインがバフムートに近づき始めた。