LGBTへの配慮だけが「多様性の時代」の正解なのか? 経産省「トイレ訴訟」に欠けていた視点とは
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写真はイメージです ciud/Shutterstock
<トランスジェンダーのトイレ使用を「制限」することを違法とした最高裁判決は朗報だが、「内心」の改革だけで社会は変わらない>
7月、日本の経済産業省に勤めるトランスジェンダー(MtF、体は男性で心は女性)の職員が執務室から2階以上離れた女性用トイレを使用するよう指定されていることを不当として国を訴えた裁判で、最高裁判所が国の対応は違法とする判決があった。
背景はちょっと複雑だ。原告はMtFといっても、法律上の性変更は行っていない。これは変更に必要な性転換手術が健康上の理由で行えなかったためだ。そして経産省に全く理解がないわけでもなく、職員の女性用トイレの利用は認めていた。ただ同省は関係職員への説明会で違和感を抱いているように見えた職員と鉢合わせないようにとの配慮で、この制限を付けたという。
内心の性に法的に変更できず、苦労していたMtFの女性の人権保護の訴えが司法の支持を勝ち得たことは歓迎したい。最近、トランスジェンダー当事者のトイレや入浴施設の使用の在り方が社会で議論されるなか、この女性への制限措置の見直しを求めた本判決は、他の政府組織や公共団体に(間接的には民間企業にも)、またトイレ利用以外の課題にも影響を与えるだろう。原告のみならずMtFの方々には朗報だと思う。
だが、判決文の論理に個人的には少し思うところがある。判決は直接的にはトイレ利用の制限措置の見直しを怠った不作為を違法と断じたものだ。それに加えて、説明会で明確に異を唱える職員がいなかった以上、制限の設定は不適切であるとも指摘している。
使いたい側、使わせたくない側、2つの人権の衝突
経産省は外からは新しいことに積極的な組織に見えるが、中から見れば職員コミュニティーが受け入れ可能な範囲を探る慎重さも備えている。自分も、もしこの件の担当者なら職員の顔色はうかがうだろう。
本件は女性用トイレを使いたい側、使わせたくない側、2つの人権の衝突だが、ならば使わせたくない側も明確に声を上げるべき、というのはいささか観念的にも思える。
判決の補足意見を見ると、裁判官たちは職員への研修・教育や調整で状況を改善できたはずと一様に考えている。つまり、判決はトランスジェンダーへの配慮を同省と職員たちに強く求めるもので、まさに今年成立したLGBT理解増進法時代の判決と言ってもよいかもしれない。だが、配慮や理解増進「だけ」がLGBTの方々が住みやすい時代への解なのか?