『小川さゆり、宗教2世』、旧統一教会が崩壊させたひとつの家庭
入院の後、メンタルクリニックで精神安定剤の頓服(とんぷく)の処方を勧められましたが、この頃の私はまだ教会を離れたばかりで、慣れ親しんできた統一教会の教義に心を支配されていました。
先生の話を聞いてつい、
「この人の言ってることって本当なんだろうか。実はサタンなんじゃないか」
と思ってしまうのです。それでも処方された薬を飲んでみると、症状がとても落ち着きました。
一方で自分の抱える問題が身体の異常ではなく、精神的なものなのだとわかり、そのことにショックを受けたのも事実です。(151〜152ページより)
心に浮かんでは消えていくのは、親や教会に裏切られたという感覚。しかし幼少時から教え込まれてきた教義しか持たないため、それに代わる「これだ」という価値観もなく、自分が空っぽになってしまったような感覚だったという。
したためた遺書、だが両親には見せられなかった
追い詰められた著者が遺書をしたためたのは、この時期のことだ。一部を抜粋してみよう。
「お父さんお母さんがしてしまった間違いはやはり消化しきれない
健康に生まれて体力もあって運動も好きだったのに
今は毎日吐き気がして体が動かなくて横になることしかできないゴミになってしまったのだから。(中略)
みんなを返してほしい 本当に、たしかに幸せだった。
ああ、悔しい こんな形で死んでしまうことが やり返せないことが
あんなにも友達がいたのにたくさん笑ったりしたのに今は笑い方もわからない
私が死んだのはお前らのせいだ でも大好きだったことも嘘じゃない
悔しい 悔しい 悔しい 生きていたかった 愛し愛されたかった
さようなら」(158〜159ページより)
ここまで書いたのは、信じるものもなくなり、精神を病んでしまい、自分の人生が終わったと感じていたからだという。生きていても社会の役に立てないし、自分が死んでも誰も悲しまないと思ったそうだ。
私は自分がそうなったのは、両親のせいだと思っていました。祝福2世として生まれ、家族のなかですごくいい子を演じ続け、親を悲しませたくない、喜んでほしいと思い、親を愛していました。
その思いを利用されて、アルバイトしたお金も母に取られてしまっていた。これだけ自分の娘が苦しんでいても、それに向き合おうとしないで、平気で「神様が」「世界平和が」と言って教会に通って過ごしている両親が許せませんでした。
「神の子」と言ってさんざん持ち上げながら、結局、私がダメになってもまるで助けようとしてくれない父と母が許せなかった。(159〜160ページより)