同じニューヨークで暮らした大江千里が、坂本龍一への追悼文を緊急寄稿「教授、また会う日まで」
TRIBUTE TO MY PROFESSOR
「教授!」。背後から声をかけると一瞬ギクッとしたように振り返り「君は誰?」と言った。「僕ですよ。大江千里です」すると、「嘘だね。大江千里はそんな髭面じゃないもの。もっと痩せてるし」と怪訝そうだ。
「今、こっちにアパートを借りて、日本と行ったり来たりしてるんです。僕ですよ。ほら」と、帽子を取ると「あっ、本当だ」。
このとき教授がふと思い出したように「ちょうどいいや。今『シェルタリング・スカイ』を完成させたばかりなんだ。千里くん、そこにスタジオがあるので一緒に来てくれないかな? 聴く時間はある?」と僕を誘った。「も、も、もちろんです」
ちょうど夕方に近い時間帯で、スピーカーとニーブの卓の前にチョコンと座り、僕は大音量でその音楽を聴かせてもらった。スピーカーの後ろの窓の外の五番街の渋滞が赤く輝く。
聴き終わるとスケールの大きな強くて譲れない感情のようなものに揺り動かされて涙がぽとぽと床に落ちた。教授に見られると恥ずかしいと思った。教授は知っていたと思うけれど、何も言わなかった。
僕は「ありがとうございます。すぐにアパートに帰り曲を書きます」と告げた。エレベーターに乗ってドアが閉まる直前に、ひょっこり教授が顔をのぞかせて「ありがとうね」と隙間から笑った。
薄暮の中を歩く。さっきの音楽に心が震え涙が止まらなくて、家へ直行しピアノを弾きまくり歌った。
それから何年も時間が過ぎ、当たり前のように教授と会えない日々があり、再び僕がニューヨークに住むようになって、たしか2019年(だったと思う)のこと。友人に連れられて「odo」という和食屋のカウンターで食事をしていると、教授がご家族と一緒にお店に入ってこられたのだ。
トイレに行って便座に座って考えた。ご挨拶しよう。手を洗い鏡で顔を確かめ、席に戻る途中に一度通り過ぎてからまた戻り「おくつろぎのところすみません、大江です」と声をかけた。すると、「そうだよね、逆にこっちから声をかけられなくてごめんね」と教授が立ち上がられた。「ジャズやってるんでしょう? 食えないんじゃない? 大丈夫?」
いきなりのストレートな聞き方で僕も素直に「でも好きだから。頑張って食えるように一生懸命努力してます」。そう答えた。
「ね、LINEを交換しよう」「本当ですか」2人で携帯をくっつけどうしたら交換できるか右往左往やっていると隣の息子さんらしき若い男性が「僕がやってあげますよ」と、QRコードを出して2人を「友達」にしてくれた。
「僕はガンをやったんだよ。信じられる?」「知ってます。もうお元気なんですね」「うん、そうさ」「よかった」そんな会話をした。