犠牲になっても、今なおロシアを美化してすがる住民たち──言語、宗教、経済...ウクライナ東部の複雑な背景とは
LIVING UNDER SIEGE
首都キーウ(キエフ)を起点に5つの州を通り、ロシアとの国境まで続くウクライナ最長の幹線道路「M03」。戦車が列を成して走り抜ける間、一般車両は路肩に寄って停車する。
「前線の道はミリタリーファーストだからひき殺されても文句は言えない。車を降りるときは、すぐに歩道側へ逃げるんだ」と、運転席のメンバーが注意を促した。
スラビャンスクを出発して1時間、道の両脇に十数台の戦車が並び、兵士が作業をしていた。そこを抜けるとバフムートの市街地が見下ろせた。ここが最前線に配備されたウクライナ軍の路上基地のようだ。そのとき前方に立ち上る煙が見えた。
「まずい、引き返そう」と声を上げるメンバー。4キロほど先にあるロシア軍陣地から放たれたミサイルが着弾したのだ。バフムートまで2.5キロの地点で全車両がUターンすることになり、全速力で迂回路に入った。
その後、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のコーディネーター、エフゲニー・トカチェフに先導されバフムートの中心部に向かった。
街のシンボルだったバフムート工業大学の校舎は昨年8月の砲撃で崩れ落ちている。市街戦に対応するため、完全武装のウクライナ兵がワゴン車の中で待機している。砲撃を警戒して、私たちは集合住宅に囲まれた中庭で支援物資の配布を始めた。
大きなペットボトルの水を受け取った女性が涙ぐんでいた。自宅が砲撃を受けたコリャ・ウガレフ(36)は腕をけがしたという。
「手が痛いので鎮痛剤を飲んでいる。暖房がないから朝は本当に寒い」と言って、ガラスが飛び散った部屋を見せてくれた。地下室で犬と暮らしているウラジミール・ムンティアン(50)は「金がないからどこへも行けない。車のバッテリーから電気を取ってしのいでいる」と話す。