犠牲になっても、今なおロシアを美化してすがる住民たち──言語、宗教、経済...ウクライナ東部の複雑な背景とは
LIVING UNDER SIEGE
「家族は?」と問うたゲナディーに、「10月に2歳になったばかりの娘がいる。妻に電話をしたら気丈に受け答えしてくれた」とアリは言う。そして最後にこうつぶやいた。「平和がいい、平和がいい、なんて言う奴が多いけど、クソ食らえだ」
これほどまでに追い込まれた状況の下、宗教者は武器を取ることについてどう考えるべきか。この夜、地元の宗教関係者とゲナディーたちが意見を交わす機会があった。集まった場所はスラビャンスクにあるドブラヤベスティ教会。
外観にはウクライナでよく見かける正教会のシンボル、金色のドームがない。マリウポリ聖職者大隊のメンバーが所属していたグッド・チェンジ教会と同じプロテスタント系の教会だ。
9人の牧師を前にゲナディーが語り始めた。「私はクリスチャンたるもの武器を取るべきではないと考えていた。しかし今、自分の信念を変えるべきときだと感じている」
ウクライナ西部から支援に来ていたラッセルが応える。「ゲナディー、そんな簡単な話じゃないんだ。頭が凝り固まった人たちを変えようということなんだから」
ゲナディーが言う。「軍に支援物資を運ぶ私のことを見て、『彼は平和主義者でなくなった』と嘆いていた牧師もいたよ」
「マイダン革命のときは、デモに集まった人たちにパンや水を運んだだけで『なぜそこに行ったんだ』と拳を上げて抗議されたものだ」と、ラッセルが10年前のことを振り返る。
別の牧師がこう話す。「私たち、プロテスタントの教会はずっと平和主義だった。『牧師が兵役のため前線に行くことは許されるのか』と問いつめてくる信者もいる。この戦争に向き合うため、宗教界の基本原則を見直さないといけない」
前線近くにいるウクライナの人々の間では、兵士は街や家族を守ってくれるものという考えが広がっている。兵士に親近感を持ってもらうため、迷彩柄の軍服を着て支援活動をする教会関係者もいる。
包囲寸前のバフムートへ
いま最も支援が求められているのが、アリが傷を負ったバフムートだ。遠征の最終日となる1月13日、私たちは支援物資を補給してそこを目指した。この頃は人口のおよそ1割、6000人ほどの住民が残っていた。