ロシア、中国、イラン...完璧なはずの独裁政権が、無視できなくなった「革命」の可能性
UNSAFE DICTATORSHIPS?
改革を一切行わずに抑圧を強めれば、政権は硬直化して圧力が強まり、いずれ崩壊する(北朝鮮でも数十年内に起き得ることだ)。一方、デモ隊を懐柔するのは一種の賭けだ。改革に前向きな姿勢を取ることで、先手を打って反乱の芽を摘み取ることができるのか。あるいは、一層の変革を求めるさらに過激な声を生み出すことになるのか。
ソ連最後の指導者となったミハイル・ゴルバチョフは、共産党による政治の独占を維持したまま、社会・経済・外交政策で改革を起こそうとした。しかし結局、体制全体に幕を引かざるを得なかった。ゴルバチョフは熱心に改革を推し進め、共産党とソ連という体制そのものは改革に耐えることができなかった。
多くの独裁者がソ連の崩壊について詳しく検証し、そこから明確な教訓を学んだ。「そもそも改革など始めるべきではない」という教訓である。
習はこの点に特に留意しており、西側流の自由への移行(まさにゴルバチョフが試みたことだ)は混乱を引き起こすだけだと繰り返し主張している。プーチンも同じだ。2人は今まで、国民に1つの取引を提示してきた。自分たちに政治の支配権を委ねるなら、国民には安心と安全を与えるというものだ。
攻めたプーチン、譲歩した習
この取引が破綻したのは最近のことだ。プーチンにとってはウクライナでの悲惨な戦争が、習にとっては中国人の感覚に照らしても厳しすぎるゼロコロナ政策が原因だ。
プーチンは国民の反発を前に、戦争への取り組みをさらに強化した。戦闘年齢の男性約30万人を動員し、ウクライナだけでなくロシアにもたらされている欧米の影響全てを悪と切り捨てた。対照的に習は譲歩し、ゼロコロナ政策を撤回した。
今のところ、どちらの措置もある意味で功を奏している。プーチンはロシアを支配し続けており、反対派はほとんどが国を去った。中国では活動家の一部が反ロックダウンのデモを習の退陣要求運動に発展させようとしたが、習がゼロコロナ政策を緩和したことで立ち消えとなった。
「中国の抗議の波は、やって来たと思ったら、過ぎ去ってしまったようだ」と、米コーネル大学の社会学教授で中国の強権的体制に関する著書があるジェレミー・ウォレスは言う。
しかしウォレスは、これで一件落着というわけではないと考えている。「習が絶対的に正しいと信じることは難しくなったと思う」と、彼は言う。「習は自ら掲げたゼロコロナ政策を転換した。次に彼が何かを要求したとき、国民が従うかどうかはもう分からない」