ロシア、中国、イラン...完璧なはずの独裁政権が、無視できなくなった「革命」の可能性
UNSAFE DICTATORSHIPS?
カーズマンによれば、イランで王制打倒運動が広がり始めた79年初め、ホメイニ師は「一定の聖職者層以外には存在をほとんど知られておらず」、指導者になったのは「革命が終焉に向かった頃」だった。
同様に、ロシアで1917年初めにストや暴動が活発化するなかで、ウラジーミル・レーニン率いるボリシェビキは少数派にすぎなかった。91年の8月革命もソ連崩壊によって本格化しており、ロシア共和国大統領だったボリス・エリツィンが新たな民主的指導者になるのは終盤になってからだ。
ホメイニ師、レーニン、エリツィンは革命が勃発する状況に乗じて、自らの望む方向に舵を切ることにたけていた。毛沢東もフィデル・カストロも、ナポレオンもそうだった。
革命は組織や戦略やカリスマ的指導者が欠けても起こり得るが、この3つの要素の少なくとも一部がなければ成功はほとんど望めない。権威主義的な政府──とりわけ革命によって誕生したイラン、ロシア、中国の政治的指導者は、この事実を知っている。彼らはデモを主導する可能性のあるリーダーを巧みに特定し、活動を妨げたり逮捕したりしてきた。
ゴルバチョフが遺した教訓
例えばロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、反体制指導者のアレクセイ・ナワリヌイをいいかげんな罪状で拘束した。ウクライナ侵攻直後には、反戦活動家を大々的に弾圧した。イランの当局は1万5000人以上のデモ参加者を逮捕し、そのうち少なくとも20人に死刑を宣告。ヒジャブの廃止を唱えただけでなく、現体制の転覆を目指す指導者たちを公開処刑した。
ロシア、イラン、中国の支配者は、民衆の圧力をかわす完璧なシステムを構築した。プーチンは帝政ロシア以来の独裁体制を築き、メディアを独占。批判勢力に暗殺を企て、破産に追い込んできた。
イランでは政権を維持する役割を持つイラン革命防衛隊が、大半の省庁と経済の中核部門を掌握。中国では習近平(シー・チンピン)国家主席の下、共産党が毛沢東の国家統制思想を復活させ、歴代の指導者である鄧小平や江沢民が行った市場改革の大半を覆した。
だが社会的・政治的・経済的・生態学的な圧力は、政権がいかに阻止しようとしても増大することが多い。次に何が起こるのか──政権が権力を強化するか、それとも崩壊し始めるかは圧力にどう対応するかによる。