ドミニク・チェンが語る、2050年のSNS・コミュニケーション・自律分散
THE BEST WAY IS TO INVENT IT
――旧来の組織に自律分散的な在り方が取って代わるのでしょうか?
トップダウン型国家・組織の長所もあるし、それらが早晩なくなるのは想像し難いです。そうではなく、従来の方法と新しい手段が相互補完的に作用して、選択肢が増えることが大事でしょう。
――自律分散が進むと社会のタコ壺化が進む恐れはないでしょうか?
異なるコミュニティー同士の共通の目的や価値をつなぐ経路を担保すれば、タコ壷化が進むということはないのではないでしょうか。逆に言えば、現状でも政治では密室の議論が行われるなど、タコ壺的なコミュニケーションはあちらこちらで起こっていると言えます。
例えばWikipediaやGitHub(ギットハブ。プログラミングのソースコードを共有し、オープンソース開発を行うためのウェブサービス)コミュニティーのオープンソース型開発の大事な価値観であり、ブロックチェーン技術の特徴の一つでもある透明性をいまより上手にデザインし、公的な議論を「ガラス張り」にできれば、ある決定に至るまでにどういう話があったのかが、議論に参加していないメンバーやコミュニティー外の人にも参照できて、乱暴なちゃぶ台返しができなくなるような緊張が生まれます。
本来は報道によって担保されるべき価値でしたが、与党政権による放送局や新聞への圧力や閉鎖的な記者クラブのような恥ずべき風習によって、日本の政治報道は崩壊しかけているように思えます。これに対してデシディムのようなテクノロジーを用いた公共プラットフォームは社会的な合意形成を機能させる可能性を秘めています。
――2050年ともなると、人工神経接続の技術で自分の脳から他の脳への直接意思や感覚を伝えるなど、コミュニケーションが飛躍的に進歩する可能性はあるのでしょうか?
BMI(Brain Machine Interface。脳神経とコンピュータをつなぎ、思考による機械の操作を実現しようとする研究)などの神経接続の技術は、障害を持った人の助けになどで使える可能性はあります。ただ、コミュニケーションは本来的に人と人の間で摩擦を生むものであり、互いの差異があるからこそ意味や価値が生まれます。わたしは、自分と他者との境界を不用意にぼかし、感情や感覚まで瞬時に伝達するのは反対の立場です。
「わたしなきわたしたち」は全体主義を生み出しますし、その逆の「わたしたちなきわたし」は過度の個人主義に陥ります。二極の対立でなくて、その時々で「わたしたち」になり、「わたし」にも戻る自由度を獲得していくことと、その自由度の望ましさ自体も関係性のなかで決められることが重要だと考えます。