「国に帰れ!」 東南アジア出身の店員に怒鳴るおじさん、在日3世の私...移民国家ニッポンの現実
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<在日コリアン3世の私は、ニューカマー(新移民)とどう付き合うべきなのか?>
日本は「移民国家」にかじを切りつつあるといわれる。だが、日本の「移民」の歴史は決して浅くない。たとえば、古くからこの国に住む在日コリアン(韓国・朝鮮人)や華僑がいる。
今日では、東南アジア出身の「ニューカマー」の働きも欠かせない。彼らは、生活者としてますます日本に根づいてゆくだろう。
では、古くからの移民である在日コリアンは、どうやって日本社会の一員となってきたのか。「ニューカマー」とどう接するべきなのか。移民国家ニッポンを、どう形づくればよいのだろうか──。林晟一著『在日韓国人になる 移民国家ニッポン練習記』(CCCメディアハウス)より、〈プロローグ〉を全文公開する。
「そうよ、わたしは馬車馬よ。いまでもそう(笑)」
「息子も元気な母ちゃんでよかったって言うもんね。これが病弱な母親だったら大変な思いをしただろうって」
編集者の都築響一が東京各地のスナック(おとなの居酒屋)の店主(ママ)たちに取材した名著、『天国は水割りの味がする』(廣済堂出版、2010年)にある一節。
ママはいささか酔いもまわっているのだろう、右のように自分史を語った。ページに挿さる一葉の写真には、お客さんたちとママ、たまに店を手伝うママの娘が写る。なめらかな語り口、ほのぼのした写真。
そのママこそ、私の母(オモニ)である。
けれど、息子である私が「元気な母ちゃんでよかった」としんみり伝えたことなど、ただの一度もない。そんな余裕ある家族史を歩ませてはくれなかった。
あわい照明と厚化粧に隠された素顔と実年齢のように、母は息子のことばをデフォルメしたのだった。スナックにおける真実は、まやかしとリアルの間(あわい)に宿る。なるほど、彼女はたしかに元気だった。かつては、深夜にスナックから帰れば、酔いにまかせ息子にからむこともあった。
頭をはたかれた息子は受けて立ち、しばしば取っ組み合いのプロレスにいたった。初老女性相手の手かげんはお約束だけれど、背は低いながらも相手は重量級。手かげん度合いをまちがえると、こちらが負傷した。