「国に帰れ!」 東南アジア出身の店員に怒鳴るおじさん、在日3世の私...移民国家ニッポンの現実
私が小学生のころ、彼女は夫に不貞を疑われ、バリカンで頭を丸坊主にされた。記憶するかぎり、三度。だが生きた。買い物のときは坊主頭を隠すバンダナを巻き、私を自転車のうしろに乗せ、お買い得をもとめてスーパーと八百屋を赤い目でハシゴした。
良くも悪くも元気があふれ、感情の振れ幅が大きすぎ、ふた言目には「もう死ぬ!」と包丁を手にし、やがて怒りに疲れて泣き寝入りし、翌朝にはけろりと朝ごはんをこしらえる人。
都築の著作から十年あまり──。齢七十をとうにすぎてだいぶ丸くなった母は、今なおママとして多摩のスナックを切り盛りしている。新型コロナ禍のもとでは、営業自粛期間をのぞけば昼のカラオケスナックが主となった。お客さんとママの加齢にあわせた措置である。
戦後まもなく生まれた団塊世代の在日コリアン2世である彼女は、国民年金制度に加入するチャンスを逃した。そのぶん、お客さんの年金をスナックのお代としていただき、生計を立てているようなものだ。
都築の取材を受けた数年後、医師にCOPD(慢性閉塞性肺疾患)の傾向を診断されたタバコ吞みの母は禁煙を誓い、持続可能なスナック経営のために店内も全面禁煙とすることを決めた。かっぷくこそ重量級のままだが、最近では物忘れが多くなり、転びやすくなった。彼女も、ついに老境の特徴がいちじるしくなったらしい。
だが、息子のセンチメンタルをいつでも裏切るのが母の真骨頂。コロナ禍前のある夜半、酔っぱらった彼女は勤めから帰ると、久しぶりに実家へもどっていた息子を「ふん」とせせら笑い、夜食を口にし、吠えた。
酔いまかせに嘆き、涙を拭きふきするものだから、厚化粧の上で黒マスカラが目のまわりに躍る。憤怒の老パンダは夜食もそこそこ、テーブルにつっぷして寝入った。
かつての酔狂プロレスはどこへやら。ひと昔前はテーブルのご飯茶碗に顔をうずめて寝入ることもあったから、それよりはましだ。いずれにせよ、齢に迫らんばかりの体重の人をおんぶして布団に運ぶのは難儀である。
残った夜食をつまみながら、私は老母の啖呵を思いかえした。戦前からの移民の子孫である在日2世たる母が、「あいつ」こと新移民(ニューカマー)の×××人ビルオーナーを口さがなく難じた。実質的な移民国家ニッポンの首都の西郊で、真夜中に放たれたヘイトスピーチ。
スナックの最寄り駅からは、工場行きの専用バスが出ている。そこで働く外国人が駅前で列をなして到着を待つ光景は日常的だ。さびれたスナックのすぐそばで、ニューカマーたちはどっしり生きている。