貧困に生まれ「いじめ」に苦しんだ私を外の世界に連れ出してくれた作文【エモを消費する危うさ:前編】
あぁ、自分は3年間、自分を押し込め、偽り続けてきたんだ。だって、そうしないと、生きていけなかった。一挙手一投足をなじられ、さげすまれ、存在を疎まれた。
「私は、もっと。もっと」
そんな、喉まで出かかって押し込んだ言葉は、毎日毎日溜まり続け、体のなかに滞留した。そのうちそれを出すことさえ忘れ、感情を表すことに鈍くなっていた。意図的に自分を抑圧し、傷つかないためにつくった殻は、分厚く、硬くなっていた。
でも、確かに私のなかに言葉はあった。とめどない感情も。それをやっと出せた今、「あぁ、生きてる」。そう、心から実感した。
担任の先生が駆け寄って来て言った。「こんなに表現力があるなんて知らなかった。泣いている方もいたわ。あと、親御さん、観に来ているよ」
何も言わなかった両親が、車で2時間はかかる会場まで、わざわざ駆けつけていた。私がいじめられ、不登校だったこの期間、言い知れぬ苦しみを背負い続けたであろう両親に、少しは恩返しできたのかなと思った。
このできごとは、「言葉で表現すること」の持つ力や喜びを、私に深く刻みつけた。
※第2回:他人の悲しみや苦痛を美談化し、使い捨てするメディアへ【エモを消費する危うさ:後編】に続く
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