「僕は友人を射殺した」──敵も味方もない戦場マリウポリの実態
“I SHOT MY FRIEND”
「ドネツク人民共和国」では2月下旬のロシアの侵攻以降、強制的な徴兵が行われている。キリルらは3人を病院に迎えることにした。
セルゲイとジェニという兄弟と、もう1人同じ名前のセルゲイという人物だった。
「シェルターでお互いの話をして友達のような関係になったんだ」
3人の兵士はそこで避難する人たちの惨状を見た。
「食べ物や薬もわずかだった。そしたら彼らはロシア軍の上官のところに戻って話をしてくれて、『ウクライナ軍は撤退しているから、住民は民家に残っている食料を取りに行っていい』と言っていることを教えてくれた」
その後、3人はDPR軍の兵士として、多くの市民や兵士がいるアゾフスターリ製鉄所への攻撃に加わることになった。不思議な話だ。友情が芽生え、一方はシェルターを提供し、一方は食べ物を手に入れられるように交渉を買って出た。お互いを助け合った。しかし、最後には敵同士の位置に戻る。
それでもここまでの話であれば、「戦場で一瞬生まれた友情」として記憶できたかもしれない。キリルは息を吸い込んで話を続けた。
その後の出来事は、おそらく彼の推測も少し入っている。その日の朝、3人を含むロシア軍とDPR軍はアゾフスターリに向かった。しかしウクライナ側の反撃に遭い追い返された。3人の兵士も夜に撤退した。逃げる最中、時に敵も味方も混乱するなかで、ロシア軍の砲撃がこの3人の近くに着弾した。激しい揺れと音で3人は混乱状態になった──。
「夜に誰かが病院に近づいてきたんだ。病院では自分たちで決まりをつくっていて、夜にやって来る人は、遠くから名前を名乗らせると決めていた。でも何度も聞いても返事がない。だから発砲した」
キリルが近づいてみるとあの3人の兵士が倒れていた。2人は死んでおり、うち1人はまだ生きていてキリルの目を見たという。3月22日のことだった。
「なぜ病院に戻ってきたの? なぜ名乗らなかったの?」
私は通訳に混乱しながら尋ねた。
「僕にも分からないよ! 安全だと思ったのかもしれないし、砲撃で混乱していたのかもしれないし」
この話の通訳を私が聞いている間、キリルはたばこを吸い始めた。ちょうど自分が友人を殺したと訳される頃、彼はその場を一瞬離れた。自分のしたことが繰り返し語られるのも、それを聞いた人の反応を見るのも恐ろしかったのかもしれない。最後に自分を見た兵士のまなざしが忘れられず、彼は悪夢を見るようになったという。