「僕は友人を射殺した」──敵も味方もない戦場マリウポリの実態
“I SHOT MY FRIEND”
市民に対するロシア軍の攻撃も収まらなかった。ロシア側が人道支援物資を病院近くで配布したことがあった。実際にはウクライナ側から奪った物資だった。キリルが物資を取りに行った帰り、突然砲撃が人々の集まりに向けて行われた。キリルは救助に戻った。
「辺りには血と内臓が広がって、骨も見えた。ある老人は足が裂けて、痛みのあまり『自分を殺してくれ』と叫んでいた。地獄だった」
それでもキリルはまだ運がよかった。4月1日、先にザポリッジャに避難していた親戚のおじたちがキリルの救出にやって来たのだ。マリウポリへのアクセスは非常に難しかったが、しかし危険を覚悟で救助に来る人もいた。キリルが去ったとき、病院に避難する人はさらに増え、500人になっていたという。
キリルに残されたものは
キリルは無事に脱出し、途中のロシア軍占領下の街に1週間ほど滞在して、血や汗などで汚れた服を燃やし、ザポリッジャにたどり着いた。
家族の状況について尋ねた。
「自分の母親、妹、義理の母と友達のアパートで暮らしている」
彼は妻と娘については何も言わなかった。通訳のマキシムとキリルが短いやりとりをした。マキシムが代わりに説明してくれた。
「カメラの前では言いたくないそうだけど、彼の妻と娘は死んだんだ。マリウポリの病院にいる時に」
これまで彼が話してくれた壮絶な体験の背後には、彼の守りたい家族がいると勝手に私は想像していた。空爆の恐怖に耐え、武器を取って自衛し、修羅場と化した砲撃現場で人々を助け、山となった死体を見て、友人となり助けてもくれた兵士を自分の手で殺してしまった。そんななかで、それでも日々を過ごせたのは妻や娘の存在があったからだと思っていた。
しかしその妻や娘は既にもういなかったのである。彼は何を支えにやってこられたのだろう。支えなどなくても、耐え過ごすしかないのだ。
彼は娘アリサと妻スベトラーナの写真を見せてくれた。赤ちゃんはふっくらした頰がかわいらしく、妻は仲のよい様子でキリルとベンチに座っていた。
彼は、5月5日から避難民センターでのボランティアに参加し始めたという。空っぽになってしまった自分を埋める何かが必要だったのではないかと思う。このインタビューに応えてくれたのもその1つだったのかもしれない。
しかし前向きな気持ちになっても、それは一瞬だけ。彼は今も自分の体験に苦しんでいるはずだ。私はその後も何度か避難民センターに通ったが、キリルの姿を再び見ることはなかった。
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