インドに移住したJKが軽妙に綴る「カースト」と「肌」の重い現実
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<プールサイドで並ぶ、「暗い色」の脚に悩む友だちと、日焼け止めを塗りたくっている自分――。親の転勤でインドに移り住んだ女子高生は、そこで何を感じ取ったか>
なにしろグローバル社会なのである。日本で生活していた女子高生(JK)が、親の突然の転勤で海外に移住するというようなことがあってもなんら不思議ではない。
『JK、インドで常識ぶっ壊される』(熊谷はるか・著、河出書房新社)の著者も、高校入学を目前に控えた中学3年生のタイミングで海外移住の話を親から聞かされた。だがそのときには、「やっぱりアメリカ? それともヨーロッパかな。東南アジアとかもありえなくはないかもね」などと予想していたという。
ところが、行き先は予想外の国だった。空港に飛行機が着陸しようとしているときの記述に、もうすぐ"一般的なJK"になるはずだった(少なくとも、そう信じて疑わなかった)著者の偽らざる思いが表現されている。
あと一年で掴める「JK」という輝かしい称号を捨てて。居心地の良い友だちや部活動の輪を抜けて。好きなアイドルのライブに行くのをあきらめて。住み慣れた高層マンションを空にして。淋しそうな祖父母の顔に背を向けて。それらに伴う悲しいも切ないもすべて振り払って、自分は一体、どこへ向かっているんだろう。
ドスン。身体を底から持ち上げられるような衝撃が走る。窓のそとにはもう地面が見える。
ついに、か。ようやく、か。
この無機質な空間に閉じ込められた八時間が終わる。そうしたら、自分がいるのは生まれ育った日本でも、どこの土地や海の上かわからない雲の合間でもない。
そこはもう、インドだ。(9〜10ページより)
友だちや知り合いに「どこに住むと思う? びっくりすると思うけど......インドなんだよね」と告げるたび、なぜだか気が引け、ばつが悪い気がしたそうだが、中学3年生の心情としてそれは普通ではないだろうか。
縮こまった全身の筋肉を無理やり動かしてボーディングブリッジの傾斜面をのぼると、大勢の空港職員が待ち受けていた。あたりまえのようだが、彼らは見慣れた「日本人の顔」ではない。もっと肌の色が濃く、顔のそれぞれのパーツが際立った、直感的に外国人とわかる彫りの深い顔が並んでいる。それを見てはじめて、もう日本にはいないという実感が湧いた。ここでは、自分が外国人なんだ。アイデンティティであり、まわりとの共通項でもあった「日本人らしい」見た目も、もうここではマイノリティだという事実に胸がドクンとした。小さいころに使っていたクレヨンの「はだいろ」も、ここでは肌色ではない。(19〜20ページより)
「はだいろ」の記述に著者ならではの視点が反映されているが、同じく印象的なのが、この直後に空港内で目にした光景について綴られた部分だ。
「お揃いの制服を身にまとったスタッフが数人で群れて清掃をしていたり、電動カートにまたがっていたり、はたまた床に座り込んだりしている......むらさき色の制服を着た彼ら」とは別に、ワイシャツを着て首からIDを下げたスタッフがいたのである。