プーチンは正気を失ったのではない、今回の衝突は不可避だった──元CIA分析官
PUTIN'S RESENTFUL REALISM
ウクライナ侵攻前の2月21日、クレムリンで安全保障会議を主宰するプーチン。側近たちとの距離が印象的だ ALEXEY NIKOLSKYーSPUTNIKーKREMLINーREUTERS
<その正気を疑う声も多いが、本人の中で行動は終始一貫している。「怒りのリアリズム」が形づくる独特の世界観を読み解く>
ウクライナ侵攻に対する恐怖と怒りとともに、ロシア大統領ウラジーミル・プーチンの正気を疑う声が出るのは不思議でない。
報道によれば、侵攻の直前に会談したフランスのエマニュエル・マクロン大統領は、プーチンがこれまでになく「頑固で孤立している」と感じたという。チェコのミロシュ・ゼマン大統領もプーチンを「狂人」と呼んだ。確かに一連のおぞましい行動は正気の沙汰とは思えない。
しかし、このような見方はあくまでも西洋の文化や価値観に基づいたものだ。プーチンの世界観や心理を理解していない。
プーチンは、狂気に陥っているわけではない。敵と位置付けている欧米諸国がどのような反応を示すかを大きく見誤ったことは間違いないし、1991年のソ連崩壊を経験したことにより、ある種の強迫観念を抱いていることも事実だろう。
けれども、この20年の行動には一貫性があり、自らの考え方は明確に表明し続けてきた。プーチンの振る舞いはほぼ全てが間違っているが、本人の世界観の枠内では至って合理的な行動を取ってきたのだ。
問題は、そうした国際政治観や歴史観が西洋的価値観と全く相いれないことだ。プーチンの頭の中では、国家は常に国の存続を懸けてぶつかり合うものとされている。
プーチンはこう考えている――。西側諸国、とりわけアメリカは宿敵であり、アメリカはロシアの版図を削ろうとし続けている。ロシアには近隣地域に覇権を打ち立てる権利があるが、ウクライナは次第にロシアにとっての緩衝地帯および属国という当然の地位から脱しようと画策している。
そして、このまま手をこまねいていれば、アメリカとNATOはプーチンとロシア国家を破滅に追い込むだろう......。
このような考えのプーチンにとって、ウクライナ侵攻は極めて理にかなった行動ということになる。「ほかに選択肢はない」と彼は言った。
1989年にプーチンが味わった屈辱
1989年11月10日の午前7時、CIAの若手職員としてヨーロッパで仕事をしていた私は、フランスのストラスブールの駅で新聞を買い、1面の大見出しを見た瞬間、思わず歩みを止めた。新聞はベルリンの壁の崩壊を報じていた。
私が知っていた世界は――1961年のベルリンの壁の設置に始まり、60~80年代のベトナムやアフガニスタンでの米ソの代理戦争の時代は――終わったのだと、私は気付いた。
同じ日の朝、ソ連の情報機関KGBの若手職員だったプーチンは、ストラスブールから東へ600キロほど離れた東ドイツ(当時)のドレスデンにいた。ただし、このとき冷戦の終焉に対して抱いた思いは、私とはまるで違うものだった。