若者はこうして戦地へ送られた──櫻井翔が日本近代史家・秦郁彦に聞く
YOUTH AT WAR
雨の降る壮行会で行進する大学生たち(1943年10月21日、明治神宮外苑競技場) Public Domain
<本誌12/21号『櫻井翔と戦争の記憶・後編』掲載のインタビューを公開。1943年「学徒出陣」とは何だったのか。なぜアメリカの学生たちは自発的に入隊し、日本の学生たちは志願をためらったのか>
太平洋戦争の激化に伴い、日本では大学や高等専門学校などに在学する学生などが学徒出陣として陸海軍に入隊した。その数は10万人余りとも言われる。背景にはどんな事情があったのか。櫻井翔が日本近代史家の秦郁彦に聞いた。
櫻井 1943年(昭和18年)10月21日、小雨降る東京・明治神宮外苑競技場(現・国立競技場)において大学生たちが行進する情景は、今でもテレビでよく報じられます。いわゆる「学徒出陣」ですが、その背景事情を教えてください。
秦 少なからぬ出陣学徒が戦場で倒れ帰らなかったこともあり悲壮感と共に語られますが、小・中学校を卒業して未成年で従軍した人たちの中には、大学生だけが特別視されることに違和感を持つ人もいるようです。
制度的には在学中の大学生は卒業時まで徴兵猶予の特典を与えられていたのですが、戦局の悪化でそれを停止しました。日本国民は満20歳(44年から19歳へ引き下げ)になると徴兵検査を受け、兵役に服する義務がありましたが、学徒出陣の学生たちは43年10月に徴兵検査を受け、12月に陸海軍へ入隊しました。
櫻井 アメリカにも学徒出陣のようなものはあったのですか。
秦 41年12月、日本の真珠湾攻撃で日米が開戦すると、多くの学生たちはこぞって自発的に軍を志願し、続々と入隊しました。私の友人で米コロンビア大学の学生だった人から聞いたのですが、大学のキャンパスは空っぽになったそうです。友人は志願せずバスに乗っていると、見知らぬ女性が「あの人、どこか体が悪いのかしら」と聞こえよがしにしゃべっているので、いたたまれず軍に志願したそうです。一種の社会的圧力ですが、彼らは1年間の訓練を終えると、43年にどっと前線へ投入されました。
アメリカの主要大学には学内に予備将校候補者を育成するROTC(Reserve Officersʼ Training Corps)制度が行き渡っていて、入隊すると即戦力になりました。イギリスも似たような状況でしたが、日本の場合は学徒出陣で強制的に動員されるまで志願者は極めて少数でした。こうした格差は意外に深刻な影響をもたらします。
櫻井 なぜ日本の学生は志願をためらったのでしょうか。
秦 さまざまな理由があります。まずアメリカの「民主主義防衛」のように学生を感奮させる大義名分が乏しかったことです。次に、しごきといじめの兵営生活の悪評が学生に嫌悪感を与えたこと。さらに、マルクス主義の影響もあって軍に対する反感が強かったことなどですが、軍のほうにも惰弱な学生は役に立ちそうもないという不信感があって、動員が遅れたのです。日米開戦からしばらくは、日本軍は連戦連勝を重ねたので切迫感がなかったのも一因です。
櫻井 出陣した学生はパイロットとして期待されていたようですね。
秦 そうです。航空戦での勝利が戦局を左右すると認識されていましたので、パイロットの急速な大量養成が必要とされました。海軍に飛行科予備学生、陸軍には特別操縦見習士官制をつくり、訓練が終わると直ちに将校(少尉)に任官させる特典を用意しました。