バイデンはどうすれば「失敗大統領」にならずに済むか
UNDER PRESSURE
バージニア大学の政治学者ラリー・サバトは、「大統領は自分の中のLBJ(リンドン・ジョンソン元大統領の略称)を表現する必要がある」と指摘する。
ケネディ政権の副大統領になる前のジョンソンは、「上院の達人」と呼ばれていた。
相手をおだて、あるいは脅して自分の欲しいものを手に入れる方法を知っていた。上院院内総務として南部の民主党議員と交渉し、後に自身が大統領として成立させた1964年公民権法の先駆けとなる1957年公民権法を成立させたのは有名な話だ。
バイデンは大統領選中、党派対立を超えて成果を出す方法を知っていると強調した。自分なら、上院議員や副大統領としての長いキャリアを通じて親交のある多くの民主党議員や共和党議員と協力して、この国を「正常」な状態へと導ける――それこそ大統領選を勝利に導いたメッセージだった。
ジョンソンが公民権法で成功したように、バイデンも自党の意見を統一する必要がある。
AOCやバーニー・サンダース上院予算委員会委員長に代表される進歩派と、ジョー・マンチンやキルステン・シネマ両上院議員のような穏健派との間には、大きな溝がある。
民主党内の進歩派と穏健派は、バイデンの看板政策であるビルド・バック・ベター法案をめぐり、何カ月も党内で対立し続けた。
当初の案には、気候変動対策、メディケア(高齢者医療保険制度)の拡大、有給家族休業制度、コミュニティ・カレッジの無償化など、実に多くの内容が盛り込まれていた。そのまま法制化されていれば、政府支出の規模は、フランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策やジョンソン大統領の「偉大な政府」計画を大きく上回っていた。
ホワイトハウス関係者によると、バイデンは両派の間で妥協をまとめようと奔走していた。これがバイデン流の政権運営だと、周囲の人たちは言う。
「バイデンは妥協を知っていて、それは悪いことではないといつも言っている」と、あるホワイトハウスの議会対策担当者(取材に対応する権限がないことを理由に匿名を希望)は述べている。
世論の風向きは変わるのか
9月半ばには、マンチンとシネマをひそかにホワイトハウスに招いて穏健派の懸念に耳を傾け、その後も2人と緊密に連絡を取り続けた。
一方、側近と議会関係者によると、サンダースやジャヤパルなどの進歩派とも積極的に接触していた。