タリバン勝利の裏に習近平のシナリオーー分岐点は2016年
9・11同時多発テロ事件以降のアメリカによるアフガニスタン軍事侵攻後に誕生したアフガニスタン政府に対しても友好的で、実はタリバン代表団が2016年7月18日に訪中する直前の7月3日には、アフガン政府への軍事支援を中国は実行したばかりだった。
この日のために2016年5月にはアフガニスタン政府のアブドラ・アブドラ行政長官が訪中し、習近平と対談さえしている。
実は「一帯一路」に関しても「備忘録」に留まっているものの、一定程度までアフガニスタン政府と提携をする方向で進んでもいた。
タリバンとも接触し、二股をかけていた習近平
2015年1月19日に発表された「人民日報」傘下の「環球時報」電子版「環球網」の「中国はなぜタリバンの"調停人"にならなければならないのか」によれば、中国は(旧)タリバン政権が誕生した1996年以降(~2001年)、特に「東トルキスタン・イスラム運動」が新疆ウイグル自治区のウイグル族と連携を始める1997年以降の1999年に、深くタリバン政権との関係を築き、ウイグル族を分離独立の方向に誘い込まないということを条件に経済支援を約束している。たとえば、中国はタリバン政権に通信サービスを提供し、アフガニスタンと国境を共有しているワカン回廊などを中心にして、カブールと新疆ウイグル自治区の首都ウルムチを結ぶ路線を開設することなどを約束していた。
アメリカによるアフガン軍事侵攻で(旧)タリバン政権が崩壊した後も、2014年末にはタリバン幹部が北京を訪れ、アフガン紛争の和平プロセスの可能性に関して話し合っているし、2015年にも中国が主催し、パキスタン政府が支援する形で、新疆ウイグル自治区の首都ウルムチで元タリバン幹部を交えてアフガニスタンの和平プロセスに関して話し合っている。
その意味では2016年7月のタリバン代表による訪中は、アフガニスタン政府誕生後から数えると、「3回目の訪中」であったと言える。これらはいずれも、習近平政権になってからのことだ。そして、この2016年7月以降から、習近平はさらに一歩進んで、アフガニスタン政府ではなく、タリバンの方に軸足を傾けていくのである。
2014年にあれだけ頻繁だった中国におけるテロは、2016年からは鳴りを潜め、2016年8月に陳全国を新疆ウイグル自治区書記に指名し(参照:4月15日のコラム<ウイグル問題制裁対象で西側の本気度が試されるキーパーソン:その人は次期チャイナ・セブン候補者>)、同年11月にはタリバンは自らの管轄下にある銅山における中国の権益を認めている(参照:8月20日のコラム<「金鉱の上に横たわる貧者」―アフガンの地下資源と中国>)。