1人の子供がいじめられ続けることで、全体の幸せが保たれる社会...「神学」から考える人権

2021年9月2日(木)12時12分
ニューズウィーク日本版ウェブ編集部

金: ストーリーは異なりますが、アーシュラ・K・ル・グィン(Ursula K. Le Guin:1929 -2018)が書いた『オメラスから歩み去る人々』(The One Who Walk Away from Omelas)と設定が似ていますよね。この小説も「一人の犠牲者と集団」という設定です。小説のように極端ではありませんが、現実社会でも、多数の人々のために少数の人々を切り捨てるようなことは多々あります。

教授: 『オメラスから歩み去る人々』のあらすじも少し紹介してくれませんか。

金: はい。

世界のどこかに存在するオメラスという町の話です。オメラスは治安も良く、経済的にも豊かで、すべてにおいて理想的な楽園です。貧困も、人種差別も、暴力もありません。戦争や犯罪もありません。しかし、この町にも一つだけ、暗い闇があります。町には一人、虐待されている子どもがいるのです。この子は、暗く不潔な地下に閉じ込められています。生き残るための最低限の食糧だけが与えられ、日常的に殴られているのです。

オメラスの幸福は、この子をひどくいじめることを条件にして維持されているのです。この子を地下室から救い出せば、町の幸せはすべて水の泡のように消えてしまいます。物語は、一群の人々が、その子の姿を見た後、オメラスから歩み去るところで終わります。

岡田: オメラスを去った人たちは、どこに向かったのか。それは作品には書かれていません。

ぼくは、彼らが向かった先には、あの子のような犠牲者が生まれない社会があるのだと思って読みました。

でも、そんな社会はあるのかな。この日本だって、オメラスとはまた違った苦しみや悲しみに満ちています。ぼくたちが、使い、食べ、着ているものはどこかの国での不当な労働の成果かもしれない。ぼくたちの世界は、そういう意味で、オメラスやくじを引く村に似ているのではないか。

ぼくたちの世界がオメラスやくじを引く村と違っているのは、この世界で搾取されている人間は一人ではない、という点です。経済的に貧しい国で労働を強いられているたくさんの人々がいます。それを知りながら、ぼくらもまた物語の世界の住人のように、見て見ぬふりをしています。(略)

鈴木: 私には他者を犠牲にして生きているという実感はないかも。誰かの労働のおかげでサービスを受けているって感じ。その労働者がみんな不幸なのかなぁ。もちろん無理矢理に働かされている人もいるとは思う。でも、「自分の生活が、無理矢理に働かされた誰かのおかげである」って考えには、けっこう驚いたかな。日本はどんどん不景気になっているから、自分が経済的に搾取されていると感じる人も多いってこと?

金: 私は『オメラスから歩み去る人々』には、「多くの人が幸福になるために、一人を犠牲にしてもいいのか」という人権問題が横たわっていると感じました。言うなれば、虐待されている子が私たちの世界のマイノリティです。学校での「いじめ」のシチュエーションに似ています。いじめが起きているクラスでは、いじめられている人がいるから、他の人たちは自分は安心して生活できるし、いじめられている人を救おうと動けば、自分に火の粉が降りかかると考えています。オメラスでも同じです。オメラスや、いじめが起きているクラスでの多数派のあり方は、多くの人を幸福にする選択かもしれません。でも、マイノリティのことを考えると、最大多数の最大幸福が最善と言えるかは疑問です。(略)

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