1人の子供がいじめられ続けることで、全体の幸せが保たれる社会...「神学」から考える人権

2021年9月2日(木)12時12分
ニューズウィーク日本版ウェブ編集部

■「最大多数の最大幸福」はどう測る?

遠藤: 私はどの意見にも同意できないな。みんなは、「くじを引く村やオメラスの民の幸福は正当なものではない」という前提で話していたね。しかし、私はそのスタンスにまず疑問がある。確かにオメラスの住人の幸福は一人の犠牲の上に成り立ってはいる。しかし、そのことで必ずしも「オメラスの人々が不当である」、つまり不正義である、とは言えないのでは?

ある社会変化が、もっとも恵まれない人々の境遇を向上させないとする。しかし一方で、その社会変化は恵まれた人々の境遇を向上させているとしよう。そのとき、私なら、その社会変化を支持することは正当だと考えるよ。いちばんの不正義は、誰の境遇もよくならない状況ではないか。犠牲者の境遇が向上しないからといって、それが不当であると決めつける権限は誰にあるのだろう。ベンサムの功利主義が追求する「最大多数の最大幸福」の考えに基づけば、一人の犠牲者の幸福より、より多数の人々の幸福が保証される状態がベターではないかな。(略)

岡田: でも、「最大多数の最大幸福」って、誰が測るの? 幸福にはいろいろあるけど、オメラスの民が感じている幸せの総計を「プラス1」と数え、虐待されている子の不幸を「マイナス1000万」と数えることだってできますよね。ソクラテスはこんなことを言ってます。

「善く生きることと美しく生きることと正しく生きることとは同じだ」

少なくとも、ぼくにはくじを引く村やオメラスの住人が、「善く」、あるいは「美しく」、ましてや「正しく」、生きているとは思えないよ。ただ生きるのではなく、善く生きることが大切なのではないでしょうか。

教授: では、もう一つ質問してみましょう。

皆さんがオメラスの市民であるとすれば、オメラスの状況を倫理道徳的に受け入れることができますか? あるいは、できませんか? 一人の子の犠牲の上に成り立つ幸せを受け入れますか? それとも拒否しますか?

カールセン: 私はたぶん、オメラスでの幸せを受け入れます。たくさんの人の幸せとたった一人の不幸を天秤にかけると、やはり、より多くの人の幸せを選ぶべきではないかと思いました。どうしても他人のことは自分のことのように考えることができないし......。先生の問いは、究極的なところ、己に正直になるか、それはつまり、他者の犠牲に目をつぶるか、あるいは、第三者から善人と思われる選択をするかを問う質問ではないでしょうか。私は......やはり、自分に正直に生きたい派ですね。(略)

田村: 私は、どうしてもオメラスでの幸せを受け入れることはできません。誰であっても、小さい子を不幸にしてまで、自らの幸福を追求する権利がないと思うからです。

遠藤: その権利があるかどうかは、誰が判断するんだ? 人はそもそも、「虐待されない権利」を持って生まれるのか? 現実の世界には、虐待されている人が数多く存在しているんだ。

一人の犠牲で社会全体の幸せが保証されるのであれば、それはそれでいいと思う。この世界のありのままの現実ってそういうものでは?

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米肥満薬開発メッツェラ、ファイザーの100億ドル買

ワールド

米最高裁、「フードスタンプ」全額支給命令を一時差し

ワールド

アングル:国連気候会議30年、地球温暖化対策は道半

ワールド

ポートランド州兵派遣は違法、米連邦地裁が判断 政権
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:高市早苗研究
特集:高市早苗研究
2025年11月 4日/2025年11月11日号(10/28発売)

課題だらけの日本の政治・経済・外交を初の女性首相はこう変える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 2
    「遺体は原型をとどめていなかった」 韓国に憧れた2人の若者...最悪の勘違いと、残酷すぎた結末
  • 3
    「路上でセクハラ」...メキシコ・シェインバウム大統領にキスを迫る男性を捉えた「衝撃映像」に広がる波紋
  • 4
    「座席に体が収まらない...」飛行機で嘆く「身長216c…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    クマと遭遇したら何をすべきか――北海道80年の記録が…
  • 7
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評…
  • 8
    【銘柄】元・東芝のキオクシアHD...生成AIで急上昇し…
  • 9
    なぜユダヤ系住民の約半数まで、マムダニ氏を支持し…
  • 10
    長時間フライトでこれは地獄...前に座る女性の「あり…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎の存在」がSNSで話題に、その正体とは?
  • 3
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 4
    9歳女児が行方不明...失踪直前、防犯カメラに映った…
  • 5
    「日本のあの観光地」が世界2位...エクスペディア「…
  • 6
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 7
    だまされやすい詐欺メールTOP3を専門家が解説
  • 8
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 9
    「遺体は原型をとどめていなかった」 韓国に憧れた2…
  • 10
    虹に「極限まで近づく」とどう見える?...小型機パイ…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 6
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になり…
  • 7
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 8
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
  • 9
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 10
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中