1人の子供がいじめられ続けることで、全体の幸せが保たれる社会...「神学」から考える人権
■人権とは「発明」か、「発見」か?
カールセン: ぼくは「人権」って、人間がつくり出した概念だと思います。共同体で生きていくとき、他者と調和して生活するために必要な考えだった......そんな気がしています。「神様」の存在と似ているかも。神も、人が生きる都合に合わせて考え出したものだよね。
楊: 私も人権や尊厳は、社会がうまく機能するために、言うなれば建前として必要なものとして、人がつくった概念だと思います。ある種の歯止めみたいな。
金: 私はいままで、人権や尊厳の根拠は世界人権宣言にあると考えていました。けど、世界人権宣言が成立したとき、その根拠には人間の尊厳に対する信念があったと考えるなら、人権や尊厳が先なのか、世界人権宣言が先なのか、わからなくなってしまいました。歴史を考えると、人権や尊厳が最初からあったようには思えません。やはり、歴史のなかで人間がつくり上げた、あるいは発見したということなのかな。仮に人間がつくったのだとしたら、それは自己防衛のためだったんじゃないでしょうか。(略)
教授: 皆さんの多くは、人権やその土台である人間の尊厳というものは実体的には存在しない。社会全体の利益のために建前としてあることにする、社会的に約束された規範だと考えているようですね。
では、人権や人の尊厳は、人間によって「発明」されたものなのでしょうか、それとも、「発見」されたものなのでしょうか。どちらの立場を取るかによって、かなり異なる人権観が成り立ちそうです。
■犠牲者のうえに社会的調和が成り立つ二つのフィクション
教授: 人権とは「発明」なのか「発見」なのか? その問いをふまえて、二つの小説『くじ』と『オメラスから歩み去る人々』について考察しましょう。事前に配布したものを読んできていますよね?
『くじ』(The Lottery)はシャーリイ・ジャクスン(Shirley Jackson:1916 -1965)というアメリカ人作家による短編です。彼女の名を冠した賞もあるほど、知られた作家です。『くじ』はこんな話です。
舞台はある小さな村。三百人ほどが暮らしています。真夏のある日、幸運を期待する様子で村人たちが広場に集まりました。子どもは石を集め、大人はくじ引きの儀式の準備をしています。この村では毎年、住人全員でくじ引きを行うのです。
儀式は楽しい雰囲気ではじまりました。しかし、徐々に緊張感が高まっていきます。そして、やがて、このくじ引きが重大な意味を持っているということが明らかになります。物語は、くじに当たった人を石で打ち殺すというショッキングな結末で終わります。