通州事件、尖閣諸島戦時遭難事件... 昭和史に埋もれていた「事件」に光を当てる
superwaka-iStock.
<戦争が終わり、時間の経過と共に忘れられていったのではなく、元より埋没してしまっていた重大事件がある。当事者たちの証言をもとに、それらの事件から昭和の大戦を読み解く>
第二次大戦の終結から76年がたつ。徐々に歴史の彼方へと追いやられようとしている。だがそれ以前に、敗戦国となった日本で長らく埋もれてしまっていた数々の重大事件があると、ノンフィクション作家の早坂隆氏は言う。
このたび『大東亜戦争の事件簿――隠された昭和史の真実』(育鵬社)を上梓した早坂氏が、その「事件簿」の一部を特別に寄稿する。
昭和史において、埋もれている数々の事件がある。冷静に語り継がれるべきそれらの事件は、なぜ埋没してしまっているのか。あるいは、意図的に隠蔽されているのか。事件当事者たちの証言をもとにしながら、先の大戦に関する新たな一面に光を当てたい。
通州事件〈日本人居留民への大虐殺事件〉
支那事変(日中戦争)の引き金となったとされる「盧溝橋事件」。しかし、その前後には、中国側による数々の排日・侮日事件があった。
昭和10(1935)年11月9日、上海の共同租界内において、日本海軍の上海陸戦隊員である中山秀雄一等水兵が、中国人により背後から射殺された。「中山水兵射殺事件」の勃発である。
昭和11(1936)年7月10日には、上海在住の日本人商人が、近所の子ども3人を連れて歩いていたところ、頭部を狙撃され死亡。「上海邦人商人射殺事件」である。
その後も日本人に対するテロ事件が相次いだ。大阪毎日新聞の記者が中国人の暴徒に襲われて死亡した「成都事件」、日本人が経営する商店が襲撃されて店主が殺害された「北海事件」、警察官の吉岡庭二郎巡査が狙撃されて死亡した「漢口邦人巡査射殺事件」などである。
盧溝橋事件後には、その後の日中関係に決定的な影響を与えた事件が勃発している。「通州事件」である。
昭和12(1937)年7月29日、北平の東方に位置する通州(現・北京市通州区)という町で、その大虐殺事件は起こった。冀東保安隊(保安隊)と呼ばれる中国人部隊らが、日本人居留民への襲撃を始めたのである。当時、5歳だった新道せつ子は、その日の記憶を以下のように記述している。
〈城内で医院を開いていた私の父母は、暴動を起こした中国の保安隊に襲われ、その地にいた邦人二十七人といっしょに、高梁(引用者注・コーリャン。モロコシのこと)の畑で虐殺されたのでした。二歳だった妹も、母に抱かれていたために同じ運命にあったのでした〉(『ハンゼン氏病よ さようなら』)
通州在住者の佐々木テンは、虐殺の場面を次のように語る。