コロナの絶望に沈むインドに差す希望の光 建国の精神「友愛」が国を救う?
A Glimmer of Hope
危機はインドを一つにするか(5月、コルカタでワクチン接種を待つ人々) RUPAK DE CHOWDHURIーREUTERS
<感染爆発のなかで広まる市民同士の助け合い。建国の理念をよみがえらせ、差別や暴力を駆逐する好機だ>
絶望的な新型コロナウイルスの感染爆発が続くインドに、かすかな希望の光が差している。助け合いが広がっているのだ。不足する医療用酸素や薬品、病床を求めるSNS上の声に次々と救いの手が差し伸べられている。
宗教間の対立をあおる政治家たちを尻目に、宗教施設がコロナ病棟として提供され、食料や酸素が分配されている。助け合っているのはヒンドゥー教徒やシーク教徒、イスラム教徒、キリスト教徒だ。
単なる多元主義を超えた「友愛」の意識を、インド憲法は建国の精神として掲げてきた。政府が第2波のコロナ対応に大失敗したことでいや応なしによみがえった連帯だが、これは本来共同体を成り立たせるカギでもある。
「『友愛』とは社会生活における連帯、結束の原則」だと、憲法起草委員会委員長のアンベードカルはかつて述べた。憲法51条には「全ての市民は宗教、言語、地域や階級の違いを超えて調和と連帯を促進する義務がある」とある。
ところが近年、宗教間の対立による暴力が多発し、この理念は危機にさらされていた。昨年は首都デリーでイスラム教徒に対する大規模な集団暴力が発生。異なる宗教への攻撃をあおる言葉がちまたにあふれていた。
宗教絡みの暴力事件で加害者は罪に問われず
アメリカ政府の米国国際宗教自由委員会(USCIRF)は今年、政府や自治体も宗教的少数者への暴力を容認しているとしてインドを「特別な懸念を要する国家」に指定。州レベルの改宗禁止法や、不法移民に市民権を付与する一方でイスラム系を対象外とした市民権改正法などに憂慮を示した。
本来、不正義を正すべきインドの立法・行政・司法やメディアは、問題をより悪化させている。例えば宗教絡みの暴力事件の多くで、加害者側はほとんど罪に問われていない。デリー首都圏政府は昨年のイスラム教徒への暴力を調査する真実究明委員会を設立したが、そこでは被害者が警察は暴力の現場をただ傍観していたと証言した。
インドの政治家も繰り返しヒンドゥー教とイスラム教の間の対立をあおり、人気取りに利用してきた。5月にも、与党インド人民党(BJP)の国会議員の言い掛かりにより、南部バンガロールのコロナ対策施設でイスラム教徒のスタッフたちが停職に追い込まれるという一件があった。