難民が受け入れ国の「市民」になるには何が必要か...戦禍を逃れた人々の切なる願い
REFUGEES NO LONGER
メルケルが15年にシリア難民に門戸を開いた際にイメージしたのは、このオマールのような若者だった。だがメルケルの決断は、難民を脅威として喧伝する極右ポピュリスト政党の台頭を促した。過激派や経済移民が難民を装って流入し、ヨーロッパの安全と一体性を危機にさらすと、極右政党はメルケルを非難した。
受け入れにコストがかかるのは事実で、各国は難民の衣食住、医療、社会への統合に巨額の資金を投じてきた。だがシリア内戦の勃発から10年、難民の集団移動が始まって5年を経た今も、問題を起こす者はごくわずか。大多数は社会の一員になろうと奮闘している。
夢はシリア系スウェーデン人
アーマド(仮名、33)は、スウェーデンの海岸の町ヘルシングボリに住むシリア難民。法的地位を危険にさらしたくないという理由から、仮名で取材に応じた。難民に認定されることで得られる庇護は必要だが、それでも難民と呼ばれると悲しい気持ちになると、アーマドは言う。
「私たち一家はシリア北東のデリゾールで何不自由ない生活を送っていた。亡命することになるとは、夢にも思わなかった。だが戦争に追われてこの国に来たのだから、その意味では確かに難民だ」
義理のきょうだいは政府の支配地域に戻って逮捕された。自分も国に帰れば徴兵忌避の罪で逮捕されると、アーマドは確信している。
同じくシリアから来たファルハン(仮名)も、スウェーデンで新しい生活を築いた。補助教員や青果店の店員をした後、現在は電車の運転士を目指して訓練を受けている。
「仕事をしていなかった頃はスウェーデン政府の援助を受けたが、今はちゃんと働いて税金を納めている」と、ファルハンは胸を張る。「この国の市民になったようで、とても晴れがましい。社会の一員として責任を持ち、役に立っている気がする。シリア出身のスウェーデン人になることが、私の目標だ」
ハインリヒ・ベル財団(ドイツ・ベルリン)で中東・北アフリカ部門を統括するベンテ・シェラーは、ヨーロッパで暮らすシリア難民のジレンマをこう説明する。
「難民の呼称は、やむを得ない事情で受け入れ国に来たことを証明してくれる。けれども一方で、彼らは今の暮らしや仕事に誇りを持ち、難民と見られることに抵抗を示す。難民としてではなく、社会で果たしている役割で判断されたいのだ」難民に代わる表現(例えば難民と市民の間を取った「人道的移民」)の導入を、一部の専門家は提案する。だがこれについては、極右勢力に難民の国外退去を要求する口実を与えるだけだとの異論もある。
デンマーク政府は今年、94人の難民についてシリアの「安全な地域」に送還できると主張し、居住権を取り消した。ドイツは昨年、犯罪歴のあるシリア人を退去させるためと称して送還の禁止措置を解いた。