日本の対ミャンマー政策はどこで間違ったのか 世界の流れ読めず人権よりODAビジネス優先
アジアにおける同時多発的な民主化運動の台頭と並行して、東欧では89年のポーランドにおける自主労組「連帯」の自由選挙での勝利を起爆剤に、ハンガリー、チェコ、ルーマニアで民衆による社会主義独裁政権打倒がすすんでいく。この民主革命のクライマックスが「ベルリンの壁」の崩壊であり、これをうけて米ソは同年11月の首脳会談で「冷戦の終結」を宣言する。さらに91年末には、冷戦時代に世界の覇権を米国と競ってきたソ連が崩壊する。
冷戦の終結とソ連・東欧共産主義体制の崩壊を、米国は「西側の勝利」と位置づけた。政治的には、ソ連全体主義に対する欧米自由主義の優位が証明されたとして、民主主義、人権の普遍性が強調されるようになる。ホワイトハウスは「人権外交」を展開し、冷戦下ではソ連への対抗上支援してきた世界の独裁体制国家に対して民主化を進めなければ援助を打ち切るとせまるようになる。
アジアの開発独裁型の国々の指導者は、欧米先進国が人権尊重をかかげて内政に介入してくることをおそれ、アジアには欧米とはことなる「アジア的価値観」があり、それにしたがって独自の発展路線を進もうとしているのだと反論したが、民主化をもとめるそれぞれの国の人びとには説得力をもたなかった。
ミャンマーの軍事政権は、民主化を主張するアウンサンスーチーは自国の現状をしらない欧米の手先と批判したが、敬虔な仏教徒である彼女は、すべての人間の平等や非暴力を説く仏教の教えにもとづき、ミャンマーの伝統的価値観を政治において実践しようとしているのは軍政か民主化勢力のどちらであるか、と国民に問いかけた。「民主主義のなかには、仏教徒が反対しなければならないようなものは、なにひとつありません」と彼女は反論した。
ミャンマーにおける日本の官民連合と国軍
米国の人権外交に問題がないわけではない。だがミャンマーには対しては、米政府は民主化を弾圧する軍事政権に経済援助や投資を武器に制裁をくわえ、スーチー氏らを支援しつづけた。今年2月1日のクーデター後も、米国の基本姿勢は変わらない。