米中アラスカ会談──露わになった習近平の対米戦略
念のため以下に転載する。
人民日報の微博に掲載された写真
辛丑(かのとうし)というのは干支(えと)の一つで、60年に一回巡ってくる。この60年を中国語で「甲子」と称するので、1901年から数えると、「二つの甲子」を乗り越えたことになる。
この写真は中国大陸のネットを駆け巡り、至るところに転載されている。
数多くのコメントが示すように、この写真は「今の中国は昔の中国ではない」ということを意味している。
2021年1月11日の中央党校におけるスピーチで、習近平は「時機はわれわれの側にある」と自信満々だ。今年7月1日が中国共産党建党100周年記念となる。1901年には義和団と清王朝(西太后と光緒帝)が八ヵ国聯合から天文学的数値の賠償を求められ、清朝滅亡へとつながった屈辱的な北京議定書を締結した。中国語ではこの年の干支にちなんで辛丑(しんちゅう)条約と呼ばれる。
習近平の父・習仲勲の祖父母は、1885年に河南省から陝西省富平に移り住んだのだが、貧乏で暮らしが成り立たないほどだった。ところが1900年、義和団の乱を受けて結成された八ヵ国聯合から逃れるため、西安に落ち延びてきた西太后と光緒帝を護衛するために、北京の軍隊にいた習仲勲の叔父が富平に立ち寄り、銀貨数十両を祖母に渡して行った。それにより習仲勲はようやく生き延びたようなものなので、習近平にとって辛丑条約は身近にあった、父親に直接関係した事件だったに相違ない。
「中華民族の偉大なる復興」には、この意味も込められていると解釈される。
あの李鴻章の時代とは違う。
中華民族は、あの屈辱の歴史から立ち直り、必ず「偉大なる復興」を成し遂げてやる。 まるで習近平の声が聞こえてくるようだ。
その意味で崔天凱・楊潔チ・王毅の外交トップをアラスカに行かせた。アラスカ会談における中国側の反論は、この写真にあるように、まさに「今の中国はあの時の中国ではない」というシグナルをアメリカに送っているものと解釈することができる。
楊潔チが2の反論で「これでも少なかったとでも言うのか?」「短かったとでも言うのか?」という言葉を発した時、彼は手先と唇にグッと力を入れ、歯を噛み締めるような表情をした。
習近平はアメリカに対して必ず強気に出始める。そのとき試されるのは日本の姿勢だ。習近平国賓招聘をまだ「中止する」と言えない日本。中止する必要はないと言い張る二階幹事長が絶対的力を持っている日本の政権与党。このようなパワーバランスが転換しようとしている時でもなお中国の顔色を窺うのか。
あの時の八ヵ国聯合の中の一国であった日本が今どう出るかで、東アジアの趨勢は決まっていくだろう。日本はそれでいいのか。覚悟を問いたい。
お詫び:義和団と八ヵ国聯合と習家に関するストーリーに関しては拙著『裏切りと陰謀の中国共産党建党100年秘史 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』の21頁に書いたが、ここでお詫びを申し上げたい。21ページでは「義和団の乱」とすべきところ、「太平天国の乱」と誤植されていることに今気が付いた。大変申し訳なく、この場を借りて、心からお詫び申し上げる。
(本コラムは中国問題グローバル研究所における論考からの転載である。)
[執筆者]遠藤 誉
中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。著書に『裏切りと陰謀の中国共産党建党100年秘史 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』(ビジネス社、3月22日発売)、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』、『激突!遠藤vs田原 日中と習近平国賓』、『米中貿易戦争の裏側 東アジアの地殻変動を読み解く』,『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『卡子(チャーズ) 中国建国の残火』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。
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