「ふつうじゃない」家族に生まれた僕は、いつしか「ふつう」を擬態するようになっていた
〝ふつうではない〞家族
ぼくは東北にある小さな港町で、少し〝ややこしい〞家族に囲まれて育った。
両親はふたりとも耳が聴こえない聴覚障害者、祖母はある宗教の熱心な信者、祖父は元ヤクザの暴れん坊、加えて、母のふたりの姉である伯母たちもそれぞれに強烈な癖を持つ人たちだった。
幼い頃のぼくにとって、その環境が〝ふつう〞だった。
それが〝ふつうではない〞ことに気づくのに、時間はかからなかった。
これは田舎によくあることだと思うけれど、ぼくの住んでいた街では、隣近所の家庭環境が筒抜けになっていた。噂はあっという間に知れ渡っていく。
必然的に、ぼくの家族が抱えている問題も、知らない家庭の話のネタにされてしまうのだ。
両親が障害者で、祖母は宗教にハマっていて、祖父は元ヤクザ。
どれひとつとっても、センセーショナルなドラマや映画の設定に使えそうだ。それがフルで揃っている家庭は、さぞかし面白いものだっただろう。
そんな家庭で育ったぼくに向けられるのは、いつだって「可哀想な子ども」というまなざしだった。
道を歩けば、近所の大人たちから声をかけられることも珍しくない。
「頑張っていて、偉いね。大変じゃない?」
「あなたも宗教やってるの?」
「昨日、騒がしかったけど、おじいちゃん大丈夫?」
いまとなっては考えられないけれど、当時はそのように他人の家庭に踏み込んだ発言をする大人たちがたくさんいた。そのたび、ぼくは「大丈夫です」と笑って誤魔化す。でも、全然大丈夫じゃなかった。
ぼくを取り囲むのは、家庭内でなにが起きているのか興味津々な人たちばかり。それでいて、誰もぼくを心配なんてしていない。まるでワイドショーでも見るような視線を向けられるたびに、ぼくは自分の置かれている環境が〝ふつうではない〞と思い知らされていった。
放っておいてほしいと何度も願うのに、その願いはどこにも届かない。
家庭内という狭い世界から一歩外に出て、学校という社会との接点を持つ頃には、〝ふつうではない〞が〝おかしい〞に変化していた。
ぼくの家族はおかしい。
だから、そんな環境で育ったぼくも、みんなと違っておかしいんだ。
そして、いつしかぼくは〝ふつう〞を擬態するようになっていた。家族のことを話さなければ、家族のことを知られなければ、ぼくもみんなと同じでいられると思い込んでいたのだ。
けれど、やはり田舎は狭い。
どこに行ったって、居場所は見つからなかった。
その結果、ぼくは二十歳(はたち)を過ぎた頃、家族を捨てるようにして故郷を飛び出した。
東京ならば、誰もぼくのことを知らない。
そこに行けば、人生をやり直せる。
一から〝ふつう〞の人生を歩める。
そんな希望だけをチケット代わりに、ぼくは過去を消去し、自分の人生を上書きするように生きた。唯一、障害のある両親のことだけは気がかりだったけれど、当時は、ぼくはぼくでなんとかやるから、あなたたちもどうにか元気で生きてね、という無責任な気持ちしかなかった。