「ふつうじゃない」家族に生まれた僕は、いつしか「ふつう」を擬態するようになっていた
筆者は「ややこしい」家族の中で育った Kiwis/iStock.
<聴覚障害者の両親、宗教にハマる祖母、元ヤクザの祖父......。故郷を捨てるように東京に出た著者が、ややこしい家族との関係をあらためて見つめ直す>
家族とのコミュニケーションがぎくしゃくしている家庭はめずらしくない。血縁といえども性格や考え方が合わないことはよくあるし、年月を経るにしたがい、それぞれが置かれている環境が変化して、関係が悪化してしまうケースもある。家族としてうまくやっていけたら――家族に対してはそれぞれが、心のどこかでそう期待している分、裏切られたときの失望やトラウマは大きくなる。
ライターの五十嵐大氏は聴覚障害者の両親、元ヤクザの祖父、ある宗教を熱心に信仰する祖母の家族で育った。一家はおのずと好奇の目にさらされることが多く、小学生になる頃には、自分の家は「ふつうではない」と自覚するようになった。五十嵐氏は「ふつう」を擬態して日常をサバイブすることを覚え、それに伴い、祖父母や両親との関係は違和感があるものとなっていった。
そんな、ややこしさを抱えた家族との関係を見つめ直した数日間を描いたのが、『しくじり家族』(五十嵐大 著、CCCメディアハウス)。かなり特殊に見える家族の事情からは、大なり小なり実はどこにでもある、「しくじった」家族関係を再構築するヒントが見えてくる。『しくじり家族』の一部を2回にわたって抜粋する。
<『しくじり家族』抜粋第2回:「おじいちゃん、明日までもたない」手話で伝える僕の指先を母はじっと見つめていた>
■Prologue ぼくの家族
祖父の喪服
生まれて初めて参列した葬儀は、祖父のそれだった。しかも、ぼくが喪主を務めなければならない。突然のことで準備が間に合わなかったぼくは、祖父の簞笥(たんす)に仕舞われていた彼の喪服を借りることにした。
祖父は大酒飲みででっぷりしたビール腹をしていたため、ズボンのウエストがぼくには合わない。ベルトをギュッと締めても、ずり落ちてきそうになる。ジャケットの前立(まえた)てはダブル。袖を通して鏡の前に立ってみると、ぶかぶかの制服を身にまとった新入生のような男がひとり映っていた。
まったく哀しくなんてなかった。近しい人を亡くしたときにどうやって涙を流せばいいのか。その方法がわからなかった。
二〇一〇年の夏のことだった。
東京は吉祥寺にある小さな印刷会社で働いていたぼくの元に、一本の知らせが届いた。
いつまでも震え続ける携帯電話のディスプレイには「佐知子」と表示されていた。伯母――母の一番目の姉――の名前だ。ややこしい家族や親戚のなかで、彼女は比較的ぼくと馬が合う。〝電話をかけること″ができない両親に代わって、時折、ぼくに電話をくれることがあった。
そのときは仕事中だったので応対することができず、無視をした。
再び携帯電話が震えだす。
なにかあったのだろうか。胸の内が少しだけ騒がしくなる。友人からの連絡であればそのままスルーできるものの、このときばかりはそうもいかなかった。ぼくはこっそり電話に出てみた。
「急にごめんね。あのね、おじいちゃん、危篤なの」
こちらを動揺させまいとするように、電話の向こうで、佐知子がゆっくり話すのがわかった。しばし沈黙した後、ぼくはため息交じりで呟いた。
「そうなんだ」
「どうしてそんなことに」と慌てるほど心の準備ができていなかったわけでもないし、言葉を失って泣き出すほど祖父に思い入れがあるわけでもなかった。祖父が亡くなるかもしれないという事実を、ただそのまま受け止めた。だから、「そうなんだ」としか言えなかったのだ。むしろ、どうしてぼくに連絡してくるのだろう、とさえ感じていた。
「で、どうすればいいの」
思いがけず漏れてしまった冷たい言葉に、我ながら驚く。
そんなぼくをたしなめながら、佐知子は続けた。
「決まってるでしょう。今日中に、できればいますぐこっちに帰ってきなさい」
抱えていた仕事を簡単に引き継ぎ、会社からそのまま東京駅へ向かい、東北新幹線に乗り込む頃には日が暮れていた。
平日だったこともあり、車内はそこまで混雑していない。指定席のシートに腰を下ろすと、アナウンスとともに新幹線が動き出した。
夕方の車内には出張帰りらしき会社員や、親子連れなどがまばらに座っており、どこからともなくお弁当の匂いが漂ってきた。
食事するならいまがチャンスだなと思ったけれど、なんだか食欲が湧かない。ホームの売店で適当に買った缶チューハイを流し込みながら、窓の外に目をやる。
猛スピードで流れていく風景は、確実に一日の終わりへと向かっていた。
でも、ぼくの一日はまだまだ終わらない。
ひどく憂鬱な気分になった。