香港デモ強硬派、ある若者の告白「僕たちは自由を守るために悪魔になった」
BURNING FOR FREEDOM
夜までにデモ隊は立法会を占拠した。最初に突入したグループは自分たちを「死の戦士」と呼び、ゴム弾や実弾、そして10年の禁錮刑も受け入れる覚悟で、議事堂に陣取った。ケンはカメラを持って後を追った。
「どうせ香港はいつか滅びる。ならば、世界中の注目を浴びるなかで滅んだほうがいい。中国が罰せられることになるから」と、ケンは語る。
「僕は怒りで陶酔していた」
デモの参加者は監視カメラを壊して回った。監視カメラの映像データを破壊するためにIT担当のチームが制御室に向かっている、とデニースが言った。
議事堂で100人ほどが椅子などを破壊し始めた。香港の紋章を塗りつぶし、誰かがその上を英植民地時代の香港の旗で覆った。
人々が政治指導者の肖像画を破り、壁にスローガンを殴り書きしている間、デニースは骨董品や貴重な文献の棚の前で見張りをしていた。「私たちがここにいるのは政治構造を破壊するためで、人を傷つけたり、私たちの遺産を傷つけたりするためじゃない」
食堂の冷蔵庫から飲み物を取った人は、お金を置いた。粉々になったガラスをほうきで掃除する人もいた。
警察も当初は慎重で、警告を繰り返し、デモ隊が立ち去る時間を与えた。黒い服の若者が帰宅できるように、地下鉄の終電を遅らせた。
抗議活動はさらに数週間続いたが、7月21日に起きた2つの出来事が2つの転機となった。
日曜の午後に比較的平和なデモ行進が行われた後、一部が中国政府の出先機関である香港連絡弁公室の建物の前に集結。中国の国章に黒いインクの瓶や卵を投げ付けた。
多くの香港人にとって、赤い共産党旗は異質なシンボルであり、自分たちとは懸け離れた価値観を表している。しかし、中国本土の人々にとっては、国章というだけでなく、中国が歴史的な恥辱から飛躍して世界に名をはせたという宣言でもある。
これを機に、中国の国営メディアが一斉に抗議活動を報道し始めた。「外国の黒い手」を借りた香港の「反中暴動」を盛んに伝え、中国本土の人々は香港人を裏切り者と見なすようになった。
もう1つの事件は北部のベッドタウン、元朗で起きた。この日の夜に地下鉄の車内と元朗駅で、デモ参加者が少なくとも100人の暴徒に襲われたのだ。棒などで殴られて、頭蓋骨が割れ、骨が折れた。警察に数百件の通報があったが、現場に到着するまでに30分以上かかった。中国系マフィア「三合会」と警察が裏で手を組んでいたという噂が広まった。
その夜のニュース速報は、妊娠しているとされる女性1人を含む少なくとも45人が負傷したと伝えたが、逮捕者は1人もいなかった。
「警察が三合会と堂々と結託して、抗議活動の参加者を痛め付けるやり方に、頭がどうかなりそうだった」と、ケンは言う。かつての陽気な顔が、恨みでこわばっていた。
2つの事件を機に、抗議活動の暴力が激しくなり、中国政府は香港に対して強硬姿勢を強めた。
元朗の襲撃事件の後、ケンはガソリンと工業用アルコールを使った焼夷弾の作り方をネットで検索した。「次の抗議デモで、突撃してきた警察官にガソリン爆弾を投げた。彼らは退却した。うまくいった!」
その夜、ベッドに入ったケンはパニックに襲われた。汗が止まらず、逮捕されるのではないかと怯えた。