【大河「べらぼう」5分解説③】戯作で蔦重を支えた朋誠堂喜三二の「黄表紙」の世界

『吾妻曲狂歌文庫』 より「手柄岡持 (朋誠堂喜三二)」 宿屋飯盛撰・ 北尾政演(山東京伝)画 1786(天明6)年 東京都立中央図書館蔵
<道蛇楼麻阿(どうだろうまあ)、手柄岡持(てがらのおかもち)など、粋でユニークな狂名で活躍した朋誠堂喜三二の生涯と作品たち>
大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』では、飄々としていながら、絶妙なタイミングで的確なアドバイスを蔦重に与え、魅力的なキャラクターとして描かれる朋誠堂喜三二(尾美としのり)。
本記事では、今後も長く蔦重を支え、江戸のメディア王へと押し上げていくであろうキーパーソン・喜三二について紹介していく。
本記事は書籍『Pen Books 蔦屋重三郎とその時代。』(CEメディアハウス)から抜粋したものです。
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江戸の人気マルチ作家・朋誠堂喜三二
江戸時代には、大田南畝や山東京伝など、複数のジャンルを跨いで、才能を発揮するマルチな作家が多くいた。
朋誠堂喜三二もそのひとりである。喜三二は幕府寄合衆の家臣・西村氏の三男として、1735(享保20)年に生まれた。その後、秋田藩江戸詰の平沢家の養子となった。
本名は平沢常富(つねまさ)であり、喜三二は数ある筆名のひとつである。
1784(天明4)年頃には留守居役筆頭を任ぜられるなど、秋田藩江戸屋敷の重役へと昇進しつつ、早くから文才に秀で、蔦重とも多くの作品を作っている。
しかし、時の政権を茶化した『文武二道万石通(ぶんぶにどうまんごくどうし)』が問題視され、戯作から手を引くこととなった。その後は、手柄岡持(てがらのおかもち)の狂名で、1813(文化10)年に亡くなるまで、狂歌に没頭したという。
遊女屋を郡に、遊女を各地の名所に見立てた遊女評判記。地理書のパロディとなっている。作者の道蛇楼麻阿(どうだろうまあ)は、朋誠堂喜三二の数ある筆名のうちのひとつ。
11代将軍・徳川家斉を幼い源頼朝に、老中・松平定信を頼朝の側近の畠山重忠に見立てて、時の政治を面白おかしく風刺した黄表紙。朋誠堂喜三二は本書をきっかけに主君の秋田藩主佐竹侯から執筆活動の禁止を命じられてしまう。
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