香港デモ強硬派、ある若者の告白「僕たちは自由を守るために悪魔になった」
BURNING FOR FREEDOM
6月16日、デモは約200万人と歴史的規模に膨れ上がり、服も黒に。その前日、林鄭は改正案の審議「延期」を発表したが撤回は拒否。その傲慢さがデモの様相を一変させる。
次第に募った暴力と憎悪
快活なケンはいつも友人たちに囲まれ、夜は非暴力の抵抗運動で知られるインドのマハトマ・ガンジーやその影響を受けた南アフリカのネルソン・マンデラについて語り合う。自称「買い物依存症」のデニース、人気の多国籍レストランの共同経営者ティム、オーストラリア留学から帰国したばかりで保険会社勤務のフィフィ、それに実験映画製作の仲間たち──。
住まいこそ質素だが何不自由ない生活だ。世界トップクラスの地下鉄で大学に通い、カフェや映画館に行く。休暇にはバックパックを背負って現代的な空港から旅に出る。こうした自由は、世界第1位の自由度と世界トップクラスの1人当たりGDP(経済的な豊かさの指標)を誇る香港経済に見合うものだ。
彼らデジタル世代の若者は、広州や上海よりサンフランシスコや東京やベルリンの若者に親しみを感じているが、中国本土に対して明確な意見も持っている。香港では本土と違って制約のないインターネットが使え、メディアも大部分は検閲されない。若者は人権活動家や新疆ウイグル自治区のウイグル人などに対する中国政府の仕打ちを見て、香港の未来を危惧し、法の支配と自由を中国に侵されてたまるかと思っている。「自由がないなら死んだほうがましだ」とケンは言う。
彼らはオンライン上で流動的な匿名グループを組織し、各自が自発的に動く方法を選んだ。香港出身の大スター、ブルース・リーの「水になれ」という言葉をスローガンに、自在に形を変えて警察署を包囲し、幹線道路を塞ぎ、地下鉄や空港を使えなくした。
若いケンにとっては人生最大のスリルだった。目的を共有する興奮に満ちた夏の夜だった。「こんなに素晴らしい香港は初めてだ」
条例改正に対する抗議は夏以降、警察と中国本土全般への憎悪と化した。警察とデモ隊は互いに暴力と憎しみを募らせ、警察は黒ずくめのデモ隊を「ゴキブリ」と呼び、デモ隊は警察を「犬」と呼んだ。「平和的デモは無視され、レンガを投げれば暴徒と呼ばれた。まだ目をそらすなら次は火炎瓶を投げてやる」とケンは言った。
7月1日は、1997年に香港が中国に返還された記念すべき日だ。しかし、香港では毎年数十万人の市民が抗議デモを行い、香港のミニ憲法である基本法で保障された自由が侵害されていると訴える。
返還22周年となる2019年7月1日、ケンを含む一部のデモ参加者が立法会の建物を包囲した。警察は催涙ガスや警棒で応戦し、逮捕者も出た。ケンは化学薬品でやけどを負った。
デモ隊の中にいた超過激派のグループが、鉄棒を手に金属製のカートを押して、建物のガラス扉に突入した。周辺をデモ隊が取り囲み、警察の応援部隊は近づけなかった。
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