沖縄は日本で最も自尊心の低い地域、とこの本の著者は言う
沖縄を訪れる観光客は、どれだけ道が混雑していても、誰もクラクションを鳴らさないことに気がつくと、「沖縄の人たちはなんて優しいんだ」と感動する。
世界中どこの都市でも街の音と言えばクラクション。那覇市は人口あたりの町の騒音が最も低い都市の一つではないかと思うくらいだ。
ところが、沖縄で暮らして何年か経過すると、これはクラクションを「鳴らさない」というよりも、「鳴らせない」状態に近いということを理解しはじめる。(74ページより)
もしクラクションを鳴らしながら生活すれば、「怖い人さーねー」という噂や言葉にならないニュアンスがなんとなく広まり、周囲の人が離れていくことになる。
著者によれば、その不思議なルールは本土の人には見えない地雷のようなもの。よって、そういう「沖縄の空気」を読めずにいると怪我をすることになるというのだ。
さまざまな意味において「クラクションを鳴らすことが許されない」沖縄社会では、人と異なる態度を取ることが難しい。人からのちょっとした誘いに対しても、面と向かって断ることはできない。
そこには人間関係に対する絶縁状のような感覚が含まれており、断られた側は「裏切られた」と解釈しかねない。沖縄の「横のつながり」の緊密さは有名だが、だからこそ小さなクラクションを鳴らしただけで、思わぬ波及効果を生んでしまうというのである。
そのため沖縄の人たちは、昇進・昇給を望まない。がんばる人(ディキヤーフージー)は周囲の空気を悪くする存在であるため、あえて成功しようという動機づけが生まれない。いかに失敗を避けるかが重要視されるため、その最も有効な手段として「現状維持」が選ばれるというのだ。
それは日常生活についても同じで、消費者は「定番商品」を買い続ける。そのため特に質が高いわけでもない平凡な商品が、異様なロングセラーになっているらしい。つまり、「人とは違うものを買うと目立ってしまう」と考えてしまうのかもしれない。
売れる理由が、商品性でもない、価格でもない、地元産だからでもない、唯一残る可能性は、「いつも買っているから」「みんなが買っているから」「人間関係があるから」、つまり、商品を選んでいないからではないだろうか。そうでなければ、これらの商品が沖縄の定番になっていることの説明がつかないのだ。(96ページより)
お腹が空いていなくても、みんなが食事に行くと聞けば一緒に行って食べなくてはならない。食事をするときも、洗練されたレストランよりも知り合いの店。ファッションも、個性的なものより一般的なもの。
常に人の目を意識しているということで、そこには「自尊心の低さ」という問題が絡んでいると著者は分析する。
目立つことを恐れて昇進を断ったり、真面目に仕事をしながら低賃金に甘んじたり、「どう思われるか」を恐れて言うべき意見を控えたり、派手だと思われそうな消費を控えたり、質が悪い物を知り合いの店から買い続けたり......と、そうした行動全てが「自分を愛せない人の行動原理」として説明できると著者は言う。