イラン政権転覆を狙う反体制派が抱える闇
Bracing for the Fall
MEKは当初、イラン革命の最高指導者で、1979年に王政を倒したホメイニ師を支持していた。同年11月に首都テヘランで発生した米大使館占拠事件にも協力したが、ホメイニが人質を解放したことに反発して決別した。
1981年に蜂起したが失敗。指導者のマスード・ラジャビと妻のマリアムはパリに逃亡した。
一方で、1980年に始まったイラン・イラク戦争は、MEKが反体制派として再び台頭する機会をもたらした。彼らはイラクのサダム・フセイン大統領と手を組み、メンバー7000人をイラクに送り込んで軍事訓練を受けさせた。
MEKはイラクを拠点に、各地でイランの軍勢と戦闘を繰り広げた。1988年には政権転覆を目指してイランに軍事侵攻を試みたが、大敗を喫して3000人以上の兵士を失った。さらに、イランで拘束されていたMEKの政治犯数千人が処刑された。
フセイン政権に協力したことで、MEKはイラン国民の大半から裏切り者と見なされるようになった。1990年代に入ると、ラジャビ夫妻はメンバーの離脱を防ぐためにカルト集団的な手法を取った。
国際人権擁護団体ヒューマン・ライツ・ウォッチが離脱者からの聞き取り調査をまとめて2005年に発表したリポートによると、メンバーは離婚して子供を国外に養子に出すよう強いられた。家族に対する義務感が、戦いに集中する妨げになるとされたのだ。
2003年にフセインを倒してイラクを占領した米軍は、MEKを武装解除、イラクに残っていた3400人のメンバーを保護下に置いた。その年を最後にマスード・ラジャビの消息は途絶え、以後はマリアムがパリを拠点に組織を率いている。
米タカ派を取り込む狙い
マリアムは米政府によるテロ組織の指定解除を目指し、2009年から数百万ドル規模の活動を展開した。指定を解除される前からMEKはワシントンで堂々と動き回り、対イラン強硬派に歓迎された。
ワシントンで派手なレセプションを開催し、著名な政治家や軍関係者に最大5万ドルの講演料を弾んでは、MEKが世俗的で民主的なイランを目指しているという主張を代弁させた。
彼らの講演者リストには、ボルトンやジュリアーニのほかにも、ブッシュ政権やオバマ政権の大統領首席補佐官(国家安全保障問題担当)や元司法長官、FBIとCIAの元長官、元統合参謀本部議長など、堂々たる肩書の持ち主が並んでいる。
「純粋にカネのためという人もいれば、イスラム共和国(イラン)が大嫌いだからという人もいる」と、安全保障問題を扱うシンクタンク、アトランティック・カウンシルのバーバラ・スラビンは言う。「敵の敵は味方というわけだ。何よりも(MEKは)カネを弾んでくれる」