米軍がイラン旅客機を撃ち落とした1988年の夏
Long Memories in Tehran
イラン・イラク戦争時、アメリカ、ソ連、フランス、イギリスといった大国はことごとく、サダム・フセイン大統領率いるイラクが隣国のイランに侵攻することを支持した。撃墜事故当時は、1979年にイラン革命で王政が倒されてイスラム国家が樹立されてからまだ10年足らず。イランには「資金などの資源も乏しく、経験もほとんどなかった」と、アクバリは言う。
「イランの報復能力はアメリカには到底かなわなかった」とアクバリは当時を振り返る。「それは今も同じだろうが、イランは非対称の報復能力を増強して攻撃の代償を高くしようと躍起だ。イラン当局者は現在、自国の防衛能力と独立性と領土保全の必要性を力説している」
最悪の事態は回避したが
「そうした考え方はイラン航空655便撃墜といった事件にも起因している。イランの軍幹部も政治家も、あんな状況には二度と陥りたくないのだ」と、アクバリは言う。
その後もイランを孤立させるアメリカ主導の取り組みは続き、イランは中東で盟友を探さざるを得ない。1980年代のイラン・イラク戦争でフセインを支持したアメリカが、2003年に(イラクが大量破壊兵器を保持しているという誤った情報を信じて)イラクに侵攻。フセイン政権は崩壊、イランはイラクとの関係を強化した。
米国防総省は今年4月、イラク戦争中の親イラン勢力の攻撃で米軍要員600人以上が死亡と発表。ドナルド・トランプ大統領自身も6月下旬、イランが簡易爆弾などで「アメリカ人2000人を殺害した」とツイートしたが、それを裏付ける証拠は示さなかった。アメリカはシリアでもイランと親イランの民兵組織が米軍にとって脅威となったと主張する。シリアは1980年代のイラン・イラク戦争時にアラブで唯一イランを支持し、現在も非常に重要なパートナーだ。
敵視し合うアメリカとイランの貴重な雪解けが、2015年のオバマ政権とロウハニ政権による核合意だった。イランは数十億ドル規模の経済制裁緩和と引き換えに核開発の大幅な制限に同意。両国の強硬派は懐疑的だったが、国際社会はおおむね歓迎。両国に加え、中国、フランス、ドイツ、イギリス、ロシアが核合意に署名した。
しかし昨年5月に、トランプは核合意を一方的に離脱。残る参加国は中東で緊張が高まるなか、合意救済に苦戦することになった。ヨーロッパはイランとの通商関係を正常化できず、イランは1年後の今年5月、履行義務の一部を放棄すると発表した。ただし合意の枠内でだ。