フランス美食外交に潜む深謀遠慮──異色外交官が明かす食と政治の深い関係とは
フランスは元来、美食というカードを使った外交に長けている。
「ナポレオンのもとで活躍したフランスの外交官、タレーランをご存じでしょう。彼は外交の現場からナポレオンに、こんな興味深い手紙を書いている。『外交官はいらない。腕のいい料理人を送ってほしい。そうすれば良い条件を取り付けてみせる』」
ナポレオン失脚後、ヨーロッパの国際秩序の建て直しのため、1814年から開かれたウィーン会議に、フランスは外相としてタレーランを送り込んだ。外交の達人であり、美食家としても名高いタレーランは、天才料理人といわれたアントナン・カレームをウィーンに随行させたといわれる。
「(ナポレオン戦争の)代償を払うよう要求するオーストリアやプロイセンと対峙したタレーランは交渉の中心的存在になった。なぜそれをなし得たか。彼はウィーン会議の期間、各国の代表をフランスのテーブルに招き、最高のフランス料理でもてなしたのです」
響宴外交のはしりとも言われるこの会議で、敗戦国という立場にもかかわらず、タレーランは交渉を自分のペースに持ちこみ、フランス革命以前の体制に戻すという自国の主張を通すことに成功した。
フォールは美食の力を解説する。
「美食は国家の影響力を表し、経済力、文化力、そして洗練度を象徴する。外国の交渉相手を美食でもてなすと、交渉を常にスムーズに運べるものだ。第1に、オフィスでするよりもずっと容易に、世間話を始められ、より落ち着いた状況、そして対立的でない雰囲気で話すことができる。さらにフランス料理というものは概して美味なので、交渉相手は喜んでフランス側にお越しになる。外交交渉で重要なのは、スポーツ同様『ホームでプレーする』ということ。そうすれば、慣れ親しんだ場所やスタッフ、プロトコル(外交儀礼)で物事を進められ、議論を主導することができる」
最高峰のワインが表すもの
もちろん、重要なのは場所だけではない。美食外交の真髄は細部に宿る。
フォールが外交官として最も印象に残っている美食外交の場面は、今からさかのぼること35年、1984年6月6日の昼食会という。当時のフランソワ・ミッテラン大統領はこの日、第二次世界大戦の転換点となったノルマンディー上陸作戦40周年の記念式典で、ロナルド・レーガン元米大統領らを前に謝意を表した。
「レーガン大統領は上陸作戦の舞台となった海岸を視察後、パリに戻り、ミッテラン大統領主催の昼食会に出席した。その昼食会で用意されたのは、ボルドーワイン。ボルドーといってもただのボルドーではない。シャトー・マルゴー、シャトー・ラフィット・ロートシルトといった、ボルドー最高峰の5大シャトー全てだ。しかも、ノルマンディー上陸作戦が決行された1944年のビンテージワイン。1本2000ユーロ(約25万円)はくだらない、40年ものの極上ワインを、出席者に5、6杯ずつ振る舞った。フランスとしては、偉大なワインを以てアメリカに感謝を表すとともに、フランスが美食の発祥地であるということ、つまりフランス流ライフスタイル『アール・ド・ヴィーヴル(生き方の技法)』を伝える意図もあった」
フォールは続ける。「美食が外交関係を一瞬で変えることはない。しかし、美食はソフトパワーであり、影響力をもたらす。繊細でありながら、印象的な響宴。こうしたことを極めて自然にできるのがフランスなのです」