最新記事

香港デモ

香港「逃亡犯条例」改正反対デモ──香港の「遺伝子改造」への抵抗

2019年8月23日(金)16時45分
倉田徹(立教大学教授)

避難所の喪失

香港では、かつては社会主義中国では許されなかった商売ができ、今も権威主義体制の中国では許されない反政府活動が容認される。

「避難所」としての香港は、大陸では許されない活動を行う場所であったがゆえに発展してきたといっても過言ではない。そして、香港のそうした役割は、一元的・硬直的な中国の体制の弱点を補完する、中国にとっても欠かせないものであった。

例えば、文革中の中国は、鎖国状態のなかで、外貨の獲得源として香港に大いに依存した。このため、周恩来首相は香港を「長期打算・充分利用(長期的に考えて、充分に利用する)」との方針を立てて、イギリスによる植民地統治を当面黙認したのである。

しかし、近年の中国政府は、香港の特殊性に対して寛容ではない。2015年末に、共産党を批判する内容の、大陸では発禁の書籍を多く商ってきた「銅鑼湾書店」の関係者5名が次々と失踪し、大陸で公安当局に拘束されていることが後に判明した。そのうち1名は香港から拉致されたと疑われている。

さらに、香港の超高級ホテルで生活していた大陸の大富豪・肖建華が、ホテルから連れ去られる事件も2017年に起きた。肖建華は大陸で捜査を受けていると報じられているが、未だ消息不明である。

この2つの事件について、中国外交部の宋如安駐香港副特派員は5月、今後は法改正で対応できるようになると述べたという。端的に言って「拉致の合法化」である。

こうして、香港は安全な「避難所」としての機能を失うと見なされた。銅鑼湾書店事件の5名のうち、後に拘束の経緯を公の場で語り、カメラの前で罪を自白するよう強制されたことなどを暴露していた店長の林栄基は、逃亡犯条例改正案審議が始まると、最早香港は安全ではないとして、台湾に移住した。

司法の独立の喪失──中立性の崩壊への不安

逃亡犯条例改正問題の重要な論点の一つは、香港の司法の独立の喪失である。香港の司法は返還後も英国式のコモン・ローが通用し、外国籍裁判官も多数在籍する。裁判官の任用は独立した委員会の推薦に基づく。世界の司法制度を評価しているWorld Justice Projectによる最新の「法の支配指数」は、香港を世界126カ国・地域中16位と高く評価している。

法の支配は、民主主義を欠く香港において、統治の公平性・平等性を担保した。イギリス統治下の植民地香港は、大陸の共産党と台湾の国民党の冷戦の最前線に置かれた。

当局は一見すると強権的支配者として権力を独占し、君臨していたが、実際は、戦後アジアの脱植民地化・独立が進むなかで、香港は衰退する大英帝国の孤立した残滓に過ぎなかった。

人口の9割を占める華人のなかには、大陸の共産党と台湾の国民党につながる勢力があり、政治問題の処理を過てば、左派・右派の住民や外部からの圧力で統治が揺るがされかねないという、極めて難しい地政学的条件の下に香港は置かれていたのである。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

アングル:フィリピンの「ごみゼロ」宣言、達成は非正

ワールド

イスラエル政府、ガザ停戦合意を正式承認 19日発効

ビジネス

米国株式市場=反発、トランプ氏就任控え 半導体株が

ワールド

ロシア・イラン大統領、戦略条約締結 20年協定で防
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:トランプ新政権ガイド
特集:トランプ新政権ガイド
2025年1月21日号(1/15発売)

1月20日の就任式を目前に「爆弾」を連続投下。トランプ新政権の外交・内政と日本経済への影響は?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼いでいるプロゲーマーが語る「eスポーツのリアル」
  • 2
    「搭乗券を見せてください」飛行機に侵入した「まさかの密航者」をCAが撮影...追い出すまでの攻防にSNS爆笑
  • 3
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べている」のは、どの地域に住む人?
  • 4
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 5
    感染症に強い食事法とは?...食物繊維と腸の関係が明…
  • 6
    フランス、ドイツ、韓国、イギリス......世界の政治…
  • 7
    オレンジの閃光が夜空一面を照らす瞬間...ロシア西部…
  • 8
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者…
  • 9
    「ウクライナに残りたい...」捕虜となった北朝鮮兵が…
  • 10
    強烈な炎を吐くウクライナ「新型ドローン兵器」、ロ…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    睡眠時間60分の差で、脳の老化速度は2倍! カギは「最初の90分」...快眠の「7つのコツ」とは?
  • 4
    メーガン妃のNetflix新番組「ウィズ・ラブ、メーガン…
  • 5
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼い…
  • 6
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲う…
  • 7
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 8
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 9
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 10
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊…
  • 5
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が…
  • 6
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 7
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 10
    「腹の底から笑った!」ママの「アダルト」なクリス…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中