香港「逃亡犯条例」改正反対デモ──香港の「遺伝子改造」への抵抗
そのようななか、政治的安定を保つために、香港政庁が選んだのは法の支配であった。
権力者から末端の市民まで、国籍を問わず、すべての人を等しく縛る中立的で独立した司法を設けて、政治問題をも裁判所の法に基づく判断に委ねてしまえば、政府は左派からも、右派からも、ひいきまたは差別したと指弾されることを避けられる。その結果として、非民主的な植民地統治に法の支配が伴う珍しい現象が、戦後香港で生じたのである。
しかし、逃亡犯条例改正によって、大陸からの引き渡し要求がなされるようになった場合、香港は司法の独立を維持できるのか。
引き渡し要求が中央政府からなされた場合、応じるか否かを判断するのは香港の裁判所である。共産党政権が、自身が強く敵視する人物に対し、経済犯罪などの容疑をかけて香港からの引き渡しを求めた場合、中国の一地方である香港の裁判所は、圧力を排して公正に判断できるのか。これには香港の裁判官からも不安の声が上がった。
自由の防衛戦──香港抵抗運動の「お家芸」
法の支配は、香港が経済活動の自由度世界一と評価されるにあたり、欠かせない条件であった。強大な政治勢力を背景にした巨大企業も、難民が徒手空拳から興した零細企業も、少なくとも法律においては、同じルールの下で公平に扱われることを意味したからである。
しかし、共産党が指導する中国の裁判所が引き渡し要求できる制度ができれば、香港の経済活動・言論活動・政治活動は、中国への忖度の度を高めざるを得ない。
政府が最低限のルールだけを定めて社会を放任し、無秩序に近い自由が展開される香港の特徴が失われれば、「香港は香港でなくなってしまう」という感覚は、「何でもあり」の香港映画などに親しんだ人であれば、日本人でも分かるところではないか。
したがって、香港市民は上述のように、何重もの意味で香港の「遺伝子改造」とも言うべき逃亡犯条例改正を阻止すべく立ち上がったわけであるが、自由の防衛戦はまた、香港市民運動の遺伝子に刷り込まれた「お家芸」でもあった。
返還後も、香港の反政府派は、2003年に「50万人デモ」で国家安全条例を廃案に追いやり、2012年には「反国民教育運動」で小・中・高の愛国教育の必修化を断念させた。
民主的な行政長官の普通選挙を求める2014年の雨傘運動が成果を得られなかったように、香港が何かを求めて「攻める」運動は得意ではないが、自由を「守る」となると、市民は一致団結して激しく抵抗し、多くの場合は成功するのである。