最新記事

心理学

PTSD治療の第一歩は潜在記憶の直視から

Unspeakable Memories

2019年6月19日(水)17時30分
シャイリ・ジャイン(精神科医、スタンフォード大学医学大学院准教授)

PTSDに苦しむ人の記憶は危険なほどリアルなこともあれば、恐ろしく曖昧なこともある。記憶を完全に喪失してしまう人もいる。そのせいで心的外傷や性的虐待の被害者の証言は一貫性を欠き、なかなか信じてもらえない。

肝心の出来事に関する記憶が不確かなら、その証言をどこまで信用していいのか。一生を左右するほど大きなトラウマを抱えているのは確かなのに、その記憶は意識レベルから排除されている。なぜなのか。

トラウマの「保管」場所

20年来、専門家は記憶の仕組みを解明することで、この問題を解決しようとしてきた。

記憶は顕在記憶と潜在記憶に分類される。電話番号のように、意図的に思い出そうとすれば取り出せるのが顕在記憶。一方の潜在記憶は、心的または外的な誘因によって勝手によみがえる。脳が自動運転モードに入ったようなもので、車の運転中には意識しなくとも赤信号に気付き、歩行者を避けられる。潜在記憶が働いて動作をコントロールしているからだ。

そしてどうやら、脳はトラウマを潜在記憶にしまっているらしい。だからその記憶は自発的には取り出せないが、何かのきっかけがあると、いやでも呼び覚まされる。

脳には、その出来事を体験した時に五感が捉えた情報(臭いやラジオから流れていた音楽など)も記憶されている。こうした情報は全て関連付けられ、恐怖構造と呼ばれる神経回路網に保管される。

そして恐怖構造にしまわれた情報のうち1つでも刺激されると、関連付けられたトラウマの記憶が全て怒濤のように押し寄せてくる恐れがある。

マリアが私の診察室で激しいフラッシュバックを経験したのもそのためだ。数十年前の性的虐待を、今になって追体験させられたわけだ。

こうした恐怖構造は、PTSDを抱える人の生活の質を著しく下げる。恐怖構造に組み込まれた感覚的要素は日常生活の中でいつ刺激され、発作の引き金になってもおかしくない。マリアの場合はスーパーの店員がおじに似ていたり、隣に座った同僚がおじと同じローションを使っていたりするだけで恐怖に襲われ、虐待されたときの感覚がよみがえるかもしれない。

しかも引き金となる感覚とそれがもたらす苦痛の関連性に、当事者はめったに気付かない。マリアは店員とおじが似ていることに気付きもせず、ただ恐怖に駆られて逃げ出すだけだろう。いつ何が引き金になるか分からないため、いつどこで発作が起きるかも分からない。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

イスラエルがガザ空爆、48時間で120人殺害 パレ

ワールド

大統領への「殺し屋雇った」、フィリピン副大統領発言

ワールド

米農務長官にロリンズ氏、保守系シンクタンク所長

ワールド

COP29、年3000億ドルの途上国支援で合意 不
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:超解説 トランプ2.0
特集:超解説 トランプ2.0
2024年11月26日号(11/19発売)

電光石火の閣僚人事で世界に先制パンチ。第2次トランプ政権で次に起きること

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋トレに変える7つのヒント
  • 2
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 3
    「このまま全員死ぬんだ...」巨大な部品が外されたまま飛行機が離陸体勢に...窓から女性が撮影した映像にネット震撼
  • 4
    「ダイエット成功」3つの戦略...「食事内容」ではな…
  • 5
    北朝鮮は、ロシアに派遣した兵士の「生還を望んでい…
  • 6
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対す…
  • 7
    ロシア西部「弾薬庫」への攻撃で起きたのは、戦争が…
  • 8
    クルスク州のロシア軍司令部をウクライナがミサイル…
  • 9
    「何も見えない」...大雨の日に飛行機を着陸させる「…
  • 10
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 3
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋トレに変える7つのヒント
  • 4
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 5
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 6
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対す…
  • 7
    北朝鮮は、ロシアに派遣した兵士の「生還を望んでい…
  • 8
    Netflix「打ち切り病」の闇...効率が命、ファンの熱…
  • 9
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 10
    メーガン妃が「輝きを失った瞬間」が話題に...その時…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 4
    外来種の巨大ビルマニシキヘビが、シカを捕食...大き…
  • 5
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 6
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋…
  • 7
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 8
    北朝鮮兵が味方のロシア兵に発砲して2人死亡!? ウク…
  • 9
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 10
    足跡が見つかることさえ珍しい...「超希少」だが「大…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中