終わりなきロヒンギャの悲劇
No Way Out
難民キャンプの生活も楽ではない。住居は簡素な小屋で、暮らしは貧しく、難民という立場では働いて収入を得ることもできない。不満を数え上げたらきりがないが、それでもここでは命が奪われることはない。
そんな切実な理由で、筆者が現地で取材したロヒンギャの人々はバングラデシュにとどまりたいと口をそろえた。ミャンマーでの恐ろしい体験は彼らの脳裏に克明に刻まれているのだ。
人道援助団体「国境なき医師団」によれば、故郷で負ったトラウマや難民キャンプでの先の見えない生活によって、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむロヒンギャ難民も多いという。
それでも、バングラデシュは何とか帰還を開始させたい。同国はまだ開発途上国に該当するし、コックスバザールは貧困層が約3割と国内でも貧しいエリアだ。しかも、難民キャンプがあるテクナフ、ウキア地域の地元住民数は約33万人。その3倍近い数の難民を受け入れて支援しているが、財政的にも心理的にも限界を迎えている。
一方、ロヒンギャを自国民と認めていないミャンマーにとっては、帰還が進まないほうが好都合だ。昨年1月、ミャンマー政府はラカイン州北部に帰還民用の一時滞在施設を建設したが、それ以外はバングラデシュに協力する動きはない。
政情も不安定で、当事国の協調もない。何よりロヒンギャ自身が帰りたがっていない。このような状況では、帰還はしばらく実行不可能だと思われていた。
だが昨年10月30日、バングラデシュ・ミャンマー両国は11月半ばに帰還を開始することに突然合意する。「強制送還される」という噂を聞きつけたロヒンギャの中には、逃亡する人や自殺を図る人もいた。第1弾の帰還が予定されていた11月15日には難民キャンプでデモが発生し、結局帰還は中止になった。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、難民が将来円滑に帰還できるよう、ロヒンギャの母国がミャンマーであると明記した身分証明書を発行しており、今年5月までに25万人が取得した。だがキャンプで働く援助関係者によれば、難民の間では「強制送還の準備か」との疑念が根強く、登録作業にてこずる場面もあったという。
難民受け入れの負担を何とか減らしたいバングラデシュ政府がいま強行しようとしているのが、キャンプから北西に約120キロ離れた国内の無人島バシャンチャールに、10万人のロヒンギャを移送する計画だ。
ベンガル湾に浮かぶこの小さな島は、10~20年ほど前に浅瀬に泥が堆積してできた「泥の島」だ。島への移送計画は15年頃から持ち上がっていたが、難民の数が急速に膨れ上がったことを受けて、バングラデシュ政府は突貫工事で島内部に受け入れ施設を建設している。防波堤と10万人分の居住施設が完成間近だ。