最新記事

環境

「ヘッチヘッチ論争」を知らずして、現代環境問題は語れない

2019年5月17日(金)15時00分
松野 弘(環境学者・現代社会総合研究所所長)

このように、ピンショー自らがつくり出した「保全」概念は、天然資源を賢明、かつ、効率的に利用することであり、人間による天然資源の効率的利用は資源の浪費を防ぐという最も合理的な環境保護政策の1つであると考えていたのである(Nash, 1989=1999:140)。

これに対してミューアは、自然保護がもたらす人間の精神的充足の側面を重視し、自然は天然資源の貯蔵庫ではなく、人間の日常生活の癒しとなるべき神からの贈り物であるという考え方をしていた。

「疲労し、精神的に不安定で、過度に文明化された数千もの人々が、山にでかけることは家に帰ることでもあることを理解し始めている」といったように(Nash [1990=2004:148])。

したがって、ヘッチヘッチ渓谷は彼にとっては、ピンショーのいうような単なる天然資源の貯蔵庫ではなく、「それは壮大な景観の庭園であり、自然界にある希有の最も貴重な山の神殿の一つ」なのであった。そして、自然が人間に対して意味するものは、「自然によって心身が癒され、励まされ、そして力を与えられる場所」なのである(Nash [1990=2004:150])。

こうして、ヘッチヘッチ論争をめぐって表面化した自然をめぐる思想的対立は、<功利主義的自然観>(G.ピンショー)と<審美主義的自然観>(J.ミューア)という自然に対する基本的な価値観の相違から出てきたものであるとともに、経済発展を基盤とする近代産業社会の功罪を問う、経済思想的な意味をもつ論争でもあったといえるだろう。

私たちに課せられた「ヘッチヘッチ論争」からの教訓

この2人の論争は当時の3人の大統領、T.ローズベルト、W.タフト、W.ウィルソンを巻き込むという大論争となった。

この背景には、保存主義思想と保全主義思想の対立だけではなく、19世紀末から20世紀前半の米国において展開されていた、一部巨大企業の利潤の独占化に反対し、社会改革を推進していく社会運動としての<革新主義運動>(進歩主義運動ともいわれる)がある。

大企業家たちが私的利潤の追求のために国家の天然資源を収奪したことで、自然環境の破壊が進み、「資源の私的所有権の乱用を抑制し、環境資源の利用に際しての科学的な管理基準を設けようとする努力に、一般の人々が幅広い支持を与える原因となった」。つまり、保全的な革新主義運動が社会的に大きな影響力をもつことになったのである(Humphrey et al., 1982=1991:146-147)。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

JPモルガン、新興国通貨の投資判断引き下げ 最悪の

ビジネス

旧村上ファンド系、フジメディアHD株を大量保有 5

ワールド

台湾行政院、米相互関税は「不合理」 貿易黒字は対中

ビジネス

午後3時のドルは146円台へ急落、半年ぶり大幅安 
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    あまりにも似てる...『インディ・ジョーンズ』の舞台になった遺跡で、映画そっくりの「聖杯」が発掘される
  • 2
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2…
  • 5
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 6
    イラン領空近くで飛行を繰り返す米爆撃機...迫り来る…
  • 7
    アメリカで「最古の銃」発見...いったい誰が何のため…
  • 8
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 9
    博士課程の奨学金受給者の約4割が留学生、問題は日…
  • 10
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 5
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 6
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2…
  • 7
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 8
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 9
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジ…
  • 10
    あまりにも似てる...『インディ・ジョーンズ』の舞台…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中