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「ヘッチヘッチ論争」を知らずして、現代環境問題は語れない

2019年5月17日(金)15時00分
松野 弘(環境学者・現代社会総合研究所所長)

経済の発展か、自然環境の保存か――「ヘッチヘッチ論争」 とは何か

ではここで、伝統的な人間の自然観をゆるがす社会問題となった「へッチヘッチ論争」について紹介しよう。この問題から教訓を学ばない限り、今日の地球環境問題を解決していくための方策を見出すことはできないといっても過言ではないだろう。

20世紀初頭、近代産業社会の成立を背景として、米国では環境問題に対する考え方に2つの立場が現れた。

その1つは、社会進歩論・社会進化論等を基盤とする社会発展思想に支えられた経済開発重視型の革新主義的な思想(Progressivism)で、自然環境を人間のための有効な利用として位置づける、「保全主義思想」(〔Conservationism〕-人間中心主義的・功利主義的立場)である。

もう1つは、人間にとっての倫理的・審美的な重要性を唱え、自然環境を原生自然の状態で保存することが自然環境保護につながるという、「保存主義思想」(〔Preservationism〕-自然中心主義的・原生自然主義的立場)の考え方である。

この2つの対立した考え方は、1908年、カリフォルニア州のヨセミテ国立公園内にあるヘッチヘッチ渓谷に、地震等の災害時に対応するための水資源の安定的供給を目的として、サフランシスコ市の貯水池と水力発電所用の用地を確保し、そこに大規模ダムを作るという計画をサンフランシスコ市長が連邦政府に申請したことから始まった。

前者の立場を推進したのが、自然環境の功利主義的な利用を容認する、連邦政府の森林局長官であり、保全主義者であったG.ピンショーであり、後者の立場から、ヘッチヘッチ渓谷の保存・保護運動を推進したのが、現在のシエラ・クラブの創設者である保存主義者、自然保護運動家としてのJ.ミューアである。

環境や自然をいかにとらえるか? 今につながる自然観の対立

ピンショーにとっては、保全は決して自然を破壊する行為ではなく、米国における天然資源を枯渇から守る唯一の方法であり、それは近代社会における科学・技術の恩恵であることを意味していた(Hays,S.P, 1959:2)。

彼は功利主義の立場から、保全に関して次のような4つの原則を示したのであった。

「第一に、保全とは環境全体を管理することであって、単に森林や草原や河川のみの管理ではなかった」。

「第二に、保全は開発であり、現在この大陸に存在する天然資源を、現在ここに生きている人の利益のために用いること」であり、「保全の第三の原則は、天然資源の浪費を取り除くことであった」。

「最後に、天然資源の開発と保存は多数者の公益のために行われるべきであり、単なる少数者の利潤のためであってはならない(最大多数の最大幸福)」。

(注:訳書の一部を筆者が修正し、補足を入れて引用している――R.F.ナッシュ/足立康訳、『人物アメリカ史(下)』、新潮社、1989年、p.82-83)

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