中国で「黄帝祭典」盛大に行うもネット民は無反応――「令和」との違い
すると、以下のような回答が戻ってきた。
──ああ、黄帝ですか......。あれは、そもそも歴史が確かでないのに、あたかも確かであるかのごとく強引に歴史を創りあげて、ま、言うならば歴史の捏造のようなものですからねぇ。あんなものを使って「中華民族の偉大なる復興」と言われても、気持ちは引いてしまいますよ。かと言って、政府の意図はわかってるので、面倒なことになるからツッコミを入れるわけにもいかないし......。私の周りでも、日本の新年号「令和」に燃える人は数多くいますが、黄帝祭典に関心を持つ人は一人もいません。
ほう、そんなものなのか......。
政府が主導するものには燃えないのが、若者の心情らしい。
ならば、「なぜ日本の令和に燃えるのか」と聞いてみると、「まあ、脱中国化などと報道されたので、一時は一種のナショナリズムが渦巻きましたが、それが過ぎると、何と言いますか、自由にツッコミを入れてもいいので、ツッコミが楽しいという気持ちになってきたような感じがないではありません。あと、日本人の反応がおもしろいかな......。そこには現在の日本文化がストレートに反映されているので、なんだか"萌えます"」とのこと。
「令和」に燃える方が楽しい?
たしかに4月1日付の「世界説」は、実に自由闊達に「令和」に関する日本のネットユーザーの情報を発信しているし(4月1日の19:02発で、よくここまで日本の情報を拾ったと思うほど臨場感あふれる情報満載。このページの最後まで写真だけでもご覧いただくと分かる)、4月3日付けの湖北衛視(BS)もまた、生き生きとした語り口で詳細に、しかもかなり正確に、日本の新年号「令和」に関して解説している。
4月4日付の中国共産党系の「参考消息」さえ、クッキーやマグカップの「令和」を見せたりして、楽しそうではないか。
驚いたのは中国版ツイッターの「微博(ウェイボー)」において、4月7日になっても、まだ「令和」に関するコメントが続いていたことだ。
中には「もしあなたが1995年6月5日(平成7年)生まれなら、これまではH7、6、5と書けばよかったんだけど、2036年に生まれた子供は"R18"(18禁)になっちゃうんだよね!どうするの?」といったものもあり、「ハハハハハ...」と笑いで反応する者がいたりする。あちこちのサイトで、こんなことをずっと「堪能」しているようにさえ見える。