漢人の天国、少数民族の地獄。「多様な」街 南新疆カシュガルレポート
これが悪い事なのかといわれれば一概にそうとは言えないし、また中国固有の問題なのかというと、もちろん違う。しかし法的裏付けもないままに強制的に収容した人の人権を散々踏みにじった後に「施設での学習を通じて自分の過ちに気付いた。政府に感謝している」 などと発言させ、道行く人を顔つきで判断して身体検査を行っておいてそれが問題だという自覚すら持てない無神経さの根本には、自分たちと違うものへの理解の拒絶と傲慢さがある事は否定できまい。
そして現在は抑圧側にいて安穏としている彼らが理解していないように思えるのは、これが化外の民だけに向く刃ではないということだ。あるべき姿が明確に示されているわけでもない以上、その合格判定は審判=権力によって恣意的に行われることになる。
例えばこの国には9000万人の共産党員がいるが、逆に言えば残りの13億は非党員だ。ある日突然党員でない事が罪であるとされたらどうするのか。あるいは1.8億人が信じる仏教が違法とされたら?世界で20番目に母語とする人が多い広東語が禁止されたら?
...これらはすべて地続きで、今問題にされていないのは単にそれを問題にしない(問題にしても利益がない)と上のほうの誰かが決めているだけのことに過ぎない。すべて「劣った存在」なのだ。
人間は誰しも少数派の部分を持っている。違うのは比率と、それが日常生活と折り合いをつけられる部分なのかということだけだ。本来他人に迷惑をかけるような変態的性癖でもない限り、どんな外見でも内面でも、政府に干渉される所以はない。しかしこうした政治制度の元では、理想的な社会の成員たる完璧さを持たないという事は、それだけで罪たりえるのだ。
次の連休はお気軽に現地へ
ここまでとりあげてきたように、新疆ウイグル自治区の街は何の予備知識がなく訪れてもわかるほどに異常な場所になっている。それでいて治安は犯罪など起こりえないほど完璧にコントロールされているし、軍・警察関係の人物や施設を撮影するなどあからさまに挑発的な行動をとらない限りは政府に関係して危険な目に遭う可能性も低い。
勿論テロが起こらないと断言することはできないが、現地に行きその警備状況を目にすれば、それはマンハッタンを歩くよりよほど確率が低いと感じることだろう。
そして何より、(とってつけたようになってしまうが)郊外の自然は本当に雄大で美しい。またエキゾチックなバザールを見て回るのも楽しい。
ウイグル問題は、これからも折に触れて国際的な火種になる事だろう。しかし普通に暮らしていて接触できるウイグルに関する情報は、他の事柄に比べて信頼性にかなりの幅がある。