ウイグル絶望収容所で「死刑宣告」された兄を想う
それ以降17年間、あれだけ仲のよかった兄弟は、メールすら送り合わず、まったく連絡を取らなかった。4年ほど前、北京を訪れていた兄が共通の知人と酒を飲んでいたとき、その知人から中国ソーシャルメディアの微信(WeChat)で連絡が来たことがある。
「兄貴といま、話すか?」
知人からそう聞かれたヌーリ氏だが、電話で直接話すことはしなかった。中国当局に盗聴されていたら、兄に大きな迷惑がかかるのは目に見えていたからだ。
「じゃあ、兄さんは後で電話するって言っているから」
しかし、兄から電話がかかってくることはなかった。知人は「昨日は酔っぱらってしまったから(かけ忘れたんだろう)」と次の日、微信で釈明したが、ヌーリ氏は注意深い兄が電話をかけてこなかった理由がよくわかる。
特に最近、外国から新疆ウイグル自治区にかかってくる電話は中国当局によって盗聴されている。ウイグル人は、たとえそれが家族や知人からのものでも国際電話に敏感になっていて、海外にいる知人や家族に「電話をしてくるな」と伝えている。「スパイ」の疑いをかけられ、それを理由に拘束されかねないからだ。
「共産党員」でも容赦せず
自治区内と連絡が断絶し情報の入ってこないヌーリ氏が、兄の拘束直後の状況を聞いたのは17年の年末頃、海外にいるタシポラット氏の教え子からだった。
「ホテルに入れられ、尋問されている」。体制側の人間として生きてきた兄に罪があるはずはない、とヌーリ氏は考えていた。弟のヌーリ氏にすら定かではないが、ウイグル人が共産党に入党せず、新疆大学学長というポストに就くことはありえない。
しかし、現在の中国当局によるウイグル人の「知識人狩り」は、身内だった共産党員も容赦しない。「あらゆるウイグル人の知識人を拘束する今のやり方は、カンボジアのポル・ポト政権と同じだ」と、中国現代史研究者でウイグル問題に詳しい水谷尚子氏は言う。
タシポラット氏は10年に新疆大学の学長に就任した後、わずか10%ほどだった教職員のパソコン使用率を劇的に改善した。「ウイグル人と漢人が深刻に対立した09年のウルムチ事件のとき、事件現場に一番近かった新疆大学で、漢人の学生にもウイグル人の学生にも『民族対立はやめよう。暴力は解決手段ではない』と呼び掛けた人物として、タシポラット学長はよく知られている」と、水谷氏は言う。「温厚な先生で、どちらの学生にも冷静さを求めた。それが漢人の教員の恨みを買った、という情報もある」