「政権打倒は叫ばない」ジャマル・カショギ独占インタビュー
IN HIS OWN WORDS
カショギはムハンマド皇太子の改革とサウジアラビアの未来に希望を捨てていなかった REUTERS
<殺害直前の本誌独占インタビューで、ジャマル・カショギが語った祖国の現在と未来。サウジ王室に近過ぎたジャーナリストの「遺言」>
※本誌11/6号(10/30発売)は「記者殺害事件 サウジ、血の代償」特集。世界を震撼させたジャーナリスト惨殺事件――。「改革」の仮面に隠されたムハンマド皇太子の冷酷すぎる素顔とは? 本誌独占ジャマル・カショギ殺害直前インタビューも掲載。
(この記事は本誌「記者殺害事件 サウジ、血の代償」特集収録の独占インタビューの冒頭を抜粋したもの)
命の危険を感じている。ジャマル・カショギは私にそう言った。
サウジアラビアについて記事を執筆していた私は、彼と内々に話をした。オフレコという約束は、今までこの原稿を発表しなかった理由の1つだ。そして、もう1つの理由は、彼がまだ生きているというはかない望みを捨て切れなかったことだ。
サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子と政府の残虐な行為を示す材料はたくさんあるが、それでも私は、こんなに早くジャマルの死について語りたくなかった。
ジャマルは冷静に、思慮深く、サウジアラビアの現在と未来を語った。「自分を反体制派とは思っていない」と、彼は言う。改革を、「よりよいサウジアラビア」を、望んでいただけだ。
何とかして「昔ながらの部族の長」であるムハンマドを理性的な方向に導けるのではないかと、かすかな希望を彼は持ち続けていた。しかし一方で、ムハンマドの「暴力的な」取り巻きについては、「彼らに盾突けば牢屋に入れられるかもしれない」と率直に語っていた。
長年の間サウジ王室の内部関係者だったジャマルは、改革に限界があることを本能的に理解していた。消息を絶ってから数週間、彼は「反体制派」と呼ばれ続けている。しかし、つい1年半前までは、外交や宗教など主要な問題に関して、彼はサウジ政府の公式見解を忠実に支持していた。
しかし、その忠誠心も、残酷な運命から逃れることはできなかった。
ジャマルはアラビア語の大手紙アル・ハヤトに執筆した記事で、サウジアラビアには複数政党制が必要だと訴えた。当時、ムハンマドは欧米歴訪を控えており、改革を率いる開放の旗手を自任していた。
王室に近かったジャマルが「アラブの春」から6年以上がたってその精神を受け入れた頃には、サウジアラビアとその同盟国は既に、エジプトやバーレーンなどアラブ各地で独裁体制を復活させていた。にもかかわらず、ジャマルのような存在がさらなる自由と民主主義を主張すると、サウジ政府は動揺した。
アラブ世界の民主化運動のうち、どれを味方に付けて、どれをアメリカの敵と見なすべきかという選択を、米政府はサウジアラビアに委ねているのだから、あまりに皮肉な話だ。アメリカは石油中毒であり、軍需産業の最大の顧客はサウジアラビアだ。だからアメリカは、明らかな事実も無視し続ける。
アメリカは数十年の間、サウジアラビア国内の弁護士やリベラルな知識人、イスラム教シーア派の活動家、女性の権利活動家、ジャーナリストなど、サウジ政府の被害者の声に耳を傾けようとしなかった。米政界の多くの人が、若き皇太子が売り込む寓話に浮かれていることを、ジャマルは見抜いていた。