エジプトで自由を求め続ける86歳の女闘士
しかしサーダウィに憎しみを募らせる一派はほかにもいた。91年に彼女の名はイスラム過激派の暗殺リストに加えられた。それは、ただの脅しではなかった。92年にはエジプト人作家ファラジ・フォダが殺された。暗殺リストにはフォダの次にサーダウィの名が挙がっていた。
93年、彼女はやむなく故国を後にし、96年に帰国するまで3年間アメリカで亡命生活を送る。
ノースカロライナ州のデューク大学で教壇に立ったサーダウィは、創造性と抵抗についての講義を始めるに当たり、自分にはどちらも教えられないと言って学生たちを驚かせた。「これまでの教育の呪縛を解くことは、私にはできないと彼らに言った。なぜ自分たちが抑圧されているのか、歴史に由来するその要因に人々は全く無自覚だ、と」
それでも彼女は必死で呪縛を解こうとした。まずは宗教の呪縛だ。「(エジプトでは)宗教は資本主義とも、女性の権利とも結び付いていると、私は指摘した。そのため彼らは私の活動を妨害し、投獄し、私の作品を検閲しなければならなかった」
何より、宗教は「ばかげている。キリストが墓から出て昇天しただの、はりつけにされただの」と、サーダウィは笑う。「私は10年かけて旧約聖書と新約聖書とコーランを比較し、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を研究した。インドへも行ってヒンドゥー教も研究した。調べれば調べるほど宗教は奇妙なものに思えてくる」
アメリカ亡命中にビル・クリントンが大統領に就任、その後ジョージ・W・ブッシュ、バラク・オバマが続いた。16年の大統領選ではヒラリー・クリントンがドナルド・トランプと接戦を展開。サーダウィはアメリカ初の女性大統領誕生の可能性について意見を求められたが、それ自体が彼女のフェミニズムを根本的に誤解している証拠だ。
女性が統治者になることを望むかどうかは「場合による」という。「私は生殖器で人を分けないから。男か女かは関係ない。女性を抑圧することに反対するフェミニストの男性もいれば、ヒラリーやテリーザ・メイ(英首相)、コンドリーザ・ライス(元米国務長官)のように男以上に父権的な女性もいる」
11年にサーダウィも参加した革命がムバラク政権を打倒。その後の選挙でムスリム同胞団が勝利してモルシ政権が誕生したが、軍によって倒された。
サーダウィもエジプトの多くの左派同様、13年7月の軍によるモルシ政権打倒を歓迎し、クーデターという呼び方に反対している。「私はクーデターとは言わない。欧米はムスリム同胞団を排除したクーデターだと言うが、真実ではない。あれは民衆による革命だった」